バイク備忘録 カワサキZ250LTD-TWIN(ツイン)

注:これを書いたのは2015年9月です。
当時と今とでは社会の寛容度や時代背景も隔世の感があり、
現在の常識にそぐわない場面もあるかもしれませんが、
「そんな時代もあったな」と、適当に笑って流してください。
よろしくお願いします。

コンテンツ

カタログで見るZ250LTD-Twin
1981年04月 中免取得&Z250LTD-TWIN購入
1981年04月 初ツーは津久井湖へ
1981年04月 いきなり!「あの」奥多摩有料!デビュー!
1981年05月 初めての箱根へ
1981年06月 相模湖へ
1981年06月 また箱根へ!
1981年07月 山中湖へ
1981年08月 初めての遠出ソロ!清里へ
1981年08月 宮ヶ瀬ダムに沈む前の宮ヶ瀬へ
1981年08月 富士五湖めぐり日帰りツー
1981年09月 昇仙峡へと日帰りソロツー
1981年10月 椿ラインから箱根へ
1981年10月 2週続けて箱根へ!バイク友と
1981年10月 2回目の奥多摩!
1981年10月 今月3回目の箱根だが兄貴に悲劇が!
1981年11月 また箱根
1981年12月下旬 箱根で初転倒
1982年01月 初日の出ツー
1982年01月 真鶴岬へと
1982年03月 伊豆高原と小室山
1982年03月下旬 Z250LTDラストツーリング

カタログで見るZ250LTD-Twin

キャッチコピー「250世代に夢と冒険を!」

Z250LTD-TWIN諸元

なぜわざわざ車名にツインとは、これより前にシングルの250LTDがあったから。

1981年03月 中免取得&Z250LTD-TWIN購入

高校在学中バイトで貯めたお金で在学中に自動二輪中型免許を取りに行った。
(いわゆる中免、今でいう普免)

この当時の高校生の時給は大体450〜600円、きっつい仕事で650〜700円くらいだった。
35年前の時給と、今(2015年)の最低賃金(県によって693円!平均798円)って
そんなに差がないのね・・・ちなみに就職して私の初任給は9万円でした・・・

中免は自動車学校で取ったのですが、この当時は学科12時間、技能8時間、
費用は約5万円弱でした。
技能は3段階で、2-3-3でしたね。今思うと8時間ってかなり短いです・・・
教習車はスズキGS400、ヤマハGX400、カワサキZ400、いずれも4stツインでした。
少し前に兄貴が通ったときは、RD400(2stツイン)があったそうだ。
今思うと乗りたかった。原付しか運転したことなかったから、
400ccバイクのその加速にまた振り落とされそうに(笑
GSはギヤポジションのインジケータが付いていて、教習生には人気だった。
入校時にバイク担当教官が開口一番「暴走族になりたい奴は今すぐ出ていけ」
・・・ですからね、もうすでにお金払ってあるのに(笑)
口は悪かったけど真っ当に教えてくれました。

規定時間で終わり免許を手にするが、いくらなんでも高校生にはおいそれと
中型バイクは買えません。我が家は自由だったけど、
「欲しい物は自分で努力して手に入れろ」という家風でしたから。
就職して親元から独立したのち、LTDを新車(フルローン)で手に入れた。


当時、国産バイクはアメリカンブームで、密かに憧れていたのは
ヤマハXS650スペシャル。けれども末弟のXS250スペシャルには乗らず、
ブランニューのカワサキのZ250LTDツインを選んだ。
評判の良かった(250専用設計の)Z250FTのエンジンをそのまんま積んだバイクです。
当時の250ccは一部例外を除き、コストダウンのため車体は400と共用、
エンジンだけ250というアンバランス。
要するに「重くてパワーがなくて走らない」と言われて「400ccのお下がりバイク」と揶揄された。

1981年04月 初ツーは津久井湖

納車おろしたてで、おっかなびっくり兄貴のZ400FXとお出かけ。
場所は津久井湖の城山ダム(神奈川県)
当時住んでいた川崎から府中街道野猿街道を通って。
兄貴の方が2年先輩で、何をやるにも2年先輩なわけで。
色々指導された(笑

1981年04月 いきなり!「あの」奥多摩有料!デビュー!

当時関東では走り屋のメッカとして名を馳せた奥多摩有料道路
(今は無料だそうですね)に引っ張り出される。
例えばスキーやスノボに例えれば、初心者をいきなり八方尾根の
頂上に連れて行くような!!??
このツーリングではカメラを持っていかなかったので写真がない、残念
とにかくバイクだらけですごかったですよー
かえって車の人が可哀そうでした・・

1981年05月 初めての箱根へ

まだ旧道七曲りの存在を知らなくて、普通に国道1号を通ってた。
この日が西湘バイパスデビュー、海沿いで気持ち良くって感激の道。
ちなみに当時のバイクの通行料金・横浜新道20円、西湘50円。

1981年06月 相模湖へ

記録も記憶もあまりないけど、大垂水峠を通って。
走り屋風がいっぱいいた。
湖の湖面の色がイマイチ(緑色)でちょっとがっかりした気が。
大垂水といえば中学生の頃、チャリでアタックしました。
あんなに苦労して峠を越えたのにバイクときたら・・・

1981年06月 また箱根へ!

もうすでに1500キロを走り、慣らしも完了。人間もLTDクンにも慣れてきた。
FTエンジンですが、低〜中速では結構「ドゥるるる〜」と鼓動が感じられて気持ち良い。
で、高回転まで回すと振動も消えてビュンビュン回るんだなあー
当時はツインの音が好きで、「いつかはXS650sp」とか思っていました。
国産アメリカンの最高峰ですからね。
燃費は最高でリッター39km、惜しい!ほとんど40!
平均するとリッター30キロくらいだったです。

1981年07月 山中湖へ

道志経由で行ったらまだ未舗装区間が結構あった。
今はライダーに人気のコースですね。

1981年08月 初めての遠出ソロ!清里

当時、山梨県清里高原が大ブームで、日帰りソロで出かけた。

しかし、清里の見どころも知らずに出かけたから良く分からず
ただ単にコーヒー飲んで帰ってきた・・・
天気が良くなくて、カッパを着たり脱いだりだったかな・・
川崎から一般道で往復350キロくらいで、初めての遠出で疲れた。

1981年08月 宮ヶ瀬ダムに沈む前の宮ヶ瀬へ

家からはプチツーの距離だけど、宮ヶ瀬に良い渓谷があると言うので出かけた。
ここはおそらく中津渓谷の記念橋と思われます。右手は厚木方向。

写真で川の右側の道を登って行くとお土産屋さんとかがあって
それなりに賑わっていました。
このときの土産屋さんとかが虹の大橋のたもとに移転して営業してるのかな?
お土産屋さんの先、川の右側を行くと渓谷が続き、
石小屋の旅館とかが並んでいた記憶があります。
川の水もきれいで、写真の通りにぎやかで家族連れに人気があったようですね。
今はダムの底なので、もう見ることは叶わない景色でしょう。
宮ヶ瀬ダムについてWikiによると

1981年8月清川村愛川町の水没住民との補償交渉が妥結する。

と記載があるので、この'81年当時はすでに宮ヶ瀬ダムの話がかなり進んでいたものと思われます。
この後何度となくこの場所に出かけましたが、工事の進捗に合わせて道の付け替えでルートが変更されてた。
'86年あたりに虹の大橋(1985年(昭和60年)完成)の見学に出かけたが、まだ水は貯まっておらず、
虹の大橋の下の河原にはまだキャンプ場があって、水遊びも可能だった。

1981年08月 富士五湖めぐり日帰りツー

写真が見つからん・・・ないのか・・・

1981年09月 昇仙峡へと日帰りソロツー

昇仙峡への道が狭くて、馬車とか観光バスも結構通るで
大変だった記憶しかない・・

1981年10月 椿ラインから箱根へ

会社の先輩に湯河原出身の人がいて、
「椿ラインって良い所だから走ってみたら」と言われて。
まだオレンジロードが有料だった時代です。
今の自分は曲がりくねった道はメンドくさくて好んで走りませんが、
当時は面白くてねえ・・・

西湘バイパス国府津PAです。必ずここで休憩を入れてました。
うどんを堤防で食べたりね。

ターンパイク終点の大観山Pです。椿側から登りました。
バイクがいっぱい・・・

ここから見る芦ノ湖と富士山は絵になるよねー

1981年10月 2週続けて箱根へ!バイク友と

寮の同期生が「ホーク(ホンダHAWK)買ったからどこか行こう」と誘われて、
「じゃ箱根へ」ってことで。

噂に聞いた箱根旧道七曲りに行ってみる。
湯本からの旧道入り口がようやく判明した。

七曲り自体は4輪の通行量は少なくて、
たまに路線バスかタクシーが通るくらいで、
峠で遊ぶバイク乗りの貸切状態だった。
逆に四輪の立場から言うと、「あそこはバイクでウザいから避けよう」
だったのかもしれない。
どこに行っても峠はこういう状況だったと思う。
結局は自分たちで首を絞めるっていうか、
遊べる範囲を狭くしていった訳ですな。
今思うと愚かだね・・・
この後、七曲りはバイク排気量による通行規制が始まる。
そのほかも城山湖やら大垂水やらその範囲は生活道路にまで及ぶ・・・

参考:神奈川県の二輪車通行規制区間
http://www.jmpsa.or.jp/society/roadinfo/area-119-129.html

先輩たちのアレのせいで「3ナイ」やら自動二輪免許が細分化されて
悔しい思いをしたくせ、自分たちもまた同じことを繰り返して、
後の世代に(通行禁止という不自由)負の遺産を残したことになる。
悪い見本なので「同じ轍を踏まないで」、としか言えません。

1981年10月 2回目の奥多摩

バイクの事故が多いのだろう、なんか注意を促す看板が増えた気がする・・・
なかでも「救急車で病院まで2時間」というのがビビるなあ。
会社でそういう話をしたら、退職間近の先輩が諭すように話してくれた。
先輩が4輪を運転中に山奥の峠道でバイクの転倒事故に遭遇したらしく、
大けがをした仲間に強引に車の行く手を止めさせられて・・

当時はもちろん携帯電話なんかないので、誰かが民家に駆け込むか、
公衆電話のあるところまで走り、
そこで救急車を呼ぶという手筈が必要であり、
人里離れた山奥では厳しいものがある

「お願いします!こいつ死にそうなんです!助けて!」と懇願され、
麓まで血だらけのライダーを運んであげたそう。
先輩曰く
「可哀そうだけど、ダメそうだった・・
車のシートは血だらけで後が大変だったけど、
その後、挨拶のひとつもない」
と嘆いていた。

1981年10月 今月3回目の箱根だが兄貴に悲劇が!

まったく猿のように山ばかり。
今回の箱根はFXの兄貴と一緒。芦ノ湖の帰り道、
特に攻め込んでいた訳でもなかったけど、
七曲りの下りで兄貴が派手に転倒してしまい、
怪我は大したことなかったがFXは大きなダメージを負ってしまう
転倒・滑走したFXが後輪からガードレールの柱に突っ込んでマフラーが折れ曲がり、
Rサスに食い込む。ウインカーは折れ、グズグズ排気漏れ&ノーサス状態で
小田原まで何とか降りて、そのままバイク屋さんに預け2ケツで帰る。

1981年11月 また箱根

いったい箱根に何があるの!ってほど毎週行っていた。
懲りないねえ・・

1981年12月下旬 箱根で初転倒

調子に乗ってるからだよな。
七曲りを過ぎてしばらく登ったあたりにヘアピンが続くところで。
日陰の凍結に気が付かなかった。
あっ!と思う間もなくスリップダウン・・
ウインカーが割れてヒジをちょっと怪我した。
通りがかりの4輪の人が車を止めて心配してくれる。
あまりにも無知で無謀・・・凍結の怖さも知らずね・・

1982年01月 初日の出ツー

今じゃあ絶対やらない(寒いもんね)初日の出を見るためのツーリング。
初日の出ポイントなんかよく知らず、とりあえず海の方まで行ったら
渋滞で動かないので辻堂あたりで初日を拝んだ。
当時のバイクに乗る時の防寒は、体に新聞紙を巻くのである。
すんごいガサガサするんだけどねー
ウエアだってグローブだってさぞ貧弱であったはずだが、
まあ若さで・・・

1982年01月 真鶴岬へと

記録によると、この年の1月に2回も真鶴岬に行ってるようです。
海沿いで凍結の心配がないと思ったのでしょうか・・
冬でも真夏でも平気でツーリングに行っていた若さが
なんとか戻ってこないものでしょうか・・・
・・・来ないよねえ・・・

兄貴と

真鶴岬の先端、三ツ石

三ツ石って干潮時に渡れるんですけど、
もしかして一回目に渡れなくて再度行ったのかも。
上の写真とこの下の写真で潮位がかなり違うもの。

この時は先端までチャレンジした。
先端から岬を見る

たぶん渡り終えた後の達成感からくるガッツポーズだと思う。

特大ゴロタ石が多くて渡るの結構大変なんだよ・・・もう行かないと思う(笑

1982年03月 伊豆高原と小室山

今回はソロだね
神奈川近辺でも、まだ行ったことがない場所がほとんどなので、
どこに行っても楽しかった。
伊豆高原駅(高校時代、夏休みの住み込みバイトの思い出の地)

 

小室山公園

小室山公園はツツジの名所だけど、まだ早かったようです・・・

1982年03月下旬 Z250LTDラストツーリング

清里リベンジツー
前回天気が悪くて、山も見えなかったからね。

でも3月の清里なんか寒々しくて人がいなかったよ・・

美しの森駐車場

やっと待望の八ヶ岳が見ることができて感激。
で、国鉄最高地点として有名な清里〜野辺山間の踏切へ
ここは結構にぎやかです・・・

ソロツーの二人と・・FXと何だろう?XLかな・・?

国鉄小海線気動車

兄貴が3月に限定解除に合格して、どうやらナナハンを買うらしい。
「FX買わないか?」と言われて、譲ってもらうことにする。
限定解除に通っていたのは知っていて、自分も「将来ナナハンに乗ってみたい」
という気持ちが芽生え始め、「それなら練習に重量車が良いかも」
なんて邪(よこしま)な考えもあったりする訳ですが。
ちなみにFXの乾燥重量は179kg、後期になると182kgくらい。

LTDとお別れだ・・・
1年で9000キロ乗った。すべて日帰りツーリングだった。
会社の同僚が中免を取って、ちょうど中古を探してるようで、
LTDを譲ることになる。
さようなら。まあいつでも会えるけど・・・

これで250LTDツイン編は終わりになります。
読んで頂き、ありがとうございました。

続きはZ400FX編です。よろしければどうぞ〜
ninjazx.hatenablog.com