バイク備忘録 Z400FX編

注:これを書いたのは2015年9月です。
当時と今とでは社会の寛容度や時代背景も隔世の感があり、
現在の常識にそぐわない場面もあるかもしれませんが、
「そんな時代もあったな」と、適当に笑って流してください。
よろしくお願いします。

コンテンツ

当時のバイク雑誌に見るZ400FX
Z400FXの時代を共に生きた400ccクラス4気筒バイク
1982年04月 FXでの初ツーは真鶴岬へ
1982年04月 Z750GPと東伊豆小室山へ
1982年05月 清里へ
1982年06月 カメラを新調して箱根へ撮影に
1982年07月 箱根とFISCO
1982年07月 初めてのロングツーリング南九州
1982年08月 清里〜松原湖日帰りソロツー
1982年08月 先輩と富士五湖めぐり日帰りツー
1982年09月 お出かけは4回
1982年10月 松本城日帰り!下道で!
1982年10月 水没前の宮ヶ瀬・中津渓谷へプチツー
1982年10月 まだダートが残るヤビツ峠へ!
1982年10月 会社の仲間と清里日帰り!
1982年10月 超高額の通行料金!ビーナスライン!お泊りツー
1982年11月 伊豆半島ほぼ一周ツー
1982年12月 箱根へ
1982年12月 西伊豆忘年会ツー
1982年12月31日〜1983年元旦 真鶴岬で年越し初日の出!
1983年01月 ついに限定解除に合格!10回目!
1983年01月 Z400FXお別れ房総ツー
特別編・FXのトラブルについて・・
番外編・限定解除試験チャレンジ

当時のバイク雑誌に見るZ400FX

ヨンフォア以降、長らくこのクラスのバイクに4気筒がなかったものだから
FX発売当時の騒ぎは推して知るべし。
そういえば高校の同級生がヨンフォアに乗っていていつも自慢げに話してた。

写真はオートバイ誌1979年5月号より

俺のマシンを見ておくれ、とか俺サとか(笑) 
媒体が扇動していた部分もあるよな。
ええ、躍らされましたとも

そうして約束されたかのようにFXは大ヒットする訳で、
400cc4気筒を待ち望んだユーザーが多かったと言うことでしょう。

家にあった↑上のカタログはE3(1981年8月発売)モデル と思われます。
兄貴から譲ってもらったのはファイアクラッカーレッドの初期E1。
(1979年4月発売) 新車当時価格385,000円
兄貴は会社の同僚から譲ってもらったとのことで、
私が3代目オーナーということになります。
横須賀サカエオートという販売店のステッカーが貼ってあった。

当初はツインのバイクが好きでしたが、
兄貴のFXを見ているうちに4気筒も良いなあと。
FX、「音」が良いんですよねー
アイドリングもゴロゴロ言って、何だかえも言われぬ迫力。
車体も大柄でホントにうまく乗れるか不安もあったけどねえ・・・

ちょっと乗ってみたら、シート高の割に足付きが悪く感じた。
これはシートが思いっきり角張っていたからですねー
このシートの角がライディング中も太ももに干渉して
腿の内側が痛くなるんだよねー
でも400cc初のDOHC4気筒、中型免許持ちには最高峰のバイクに思えた。
そうしてここから現在まで続くカワサキ4気筒オンリーの
新たなバイクライフが始まるのです。

Z400FXの時代を共に生きた400ccクラス4気筒バイク

歴史に残る名キャッチコピー「おお400、お前は風だ」
ホンダCB400FOUR(408cc、1974年12月発売)
免許制度改正が1975年10月
ホンダCB400FOUR(398cc1976年3月6発売〜1977年発売中止)

ここで空白

カワサキZ400FX(1979年4月発売)
に続いて、
ヤマハXJ400 (1980年6月発売)
スズキGSX400F (1981年4月発売)
ホンダCBX400F(1981年11月発売)

カワサキ以外各社が言うには、400ccは2気筒がべスト!と声高に叫んでいた気もする
FXがバカ売れしているのを見過ごす訳がありません。
特約販売店も「4気筒を出せ!」と、さぞかしメーカーを突っついたことでしょう。

後発各社は当然FXを超えることを目標として作り上げてくるので、
基本設計の古くなったFXでは正直厳しかったものがあります。
まあ俗的に言うと注目度とか、シグナルGPでの連戦連敗とか。
(FXはもともと海外向けの500ccがベースと言う車格的なハンデもあるな)
私がFXに乗り出した1982年初頭には、すでに4社とも400マルチが揃っていたのです。
カワサキは、と言うとFXシリーズは750も含めて大きなブラッシュアップもせずに、
その後のGPシリーズまで覇権はお預け状態になります。
ここらへん、カワサキ狂はジレンマを感じたことでしょう。
そして空前のバイクブームがやってきて、メーカーも驚異の開発力で次々と新型を開発して、
毎年のようにモデルチェンジをするという、今では考えられないスピードで突き進むのです。

前置きが長くなったけど、Z400FXツーリング編の開始です

1982年04月 FXでの初ツーは真鶴岬

こ、これで前車から3回連続真鶴岬かいな
なぜこんなに同じ所へ続けて行ってたのか?不明である。

が、

・距離が適当である
・海岸線で気持ちイイ
・コケてちょっと山は懲りた
・料金所を迂回するルートの研究

まあどうせこんな程度の理由であろう。
写真はなかった。

1982年04月 Z750GPと東伊豆小室山へ

兄貴の新車、Z750GPが納車されて小室山までランデブー

赤いカワサキが2台!

今でもカッコいいと思います、Z750GP。
兄貴は子供の頃からいつでも俺の2歩先を行く感じ。
ホントは逆輸入Z1100GPが欲しかったそうですが、
120万と言われて断念したらしい。(給料10万そこらだったからねー)
750が2台、余裕で買える値段・・
まあ周りからも「無謀じゃないの?」と随分たしなめられたようだ。

この当時は逆輸入なんて言葉すら聞かないし、全然一般的じゃないし、
扱ってる店もごく少数。
それでも偶に(ホント稀です)Z1RやZ1000MKⅡなんか見かけた日には
追っかけて行って話を伺ったものです。いい迷惑だっただろうな(笑
逆輸入車が一般的になったのは、カタナとかニンジャくらいからかな。
ガイシャはまあBMWとかドカとかグッチとか走っていたけど
よくエンコして止まってるのを見たので、(とくにドカね)
あんまり羨ましくなかったかも(笑

400とはまるで桁違いのパワーだそうで、俺も早くその領域に行きたい!と思った。
周りからの注目度もすごかったですねー、以前のFXⅢからは完全に世代が違う感じ。
バイク雑誌も絶賛で、Z750GPは「最速ナナハン」の称号も手に入れるのです。
エンジン回りとかブラッククロームメッキでコストかかってます・・・
でも最新DFI(FIのことです)をコントロールするECUが違法電波に弱いという
弱点が露呈され、兄貴も実際に誤動作に遭ってます。短命に終わったのはそのせいか?
次のGPZからキャブに戻ったね。
(国内スポーツ旗艦バイクとして)2本サスとしても最後のモデルか。

最後にまとめますが、もうこのときは限定解除にチャレンジ中です。

1982年05月 清里

また兄貴のZ750GPと一緒です。

清里云々よりも残雪の八ヶ岳が好きでねえ・・・

1982年06月 カメラを新調して箱根へ撮影に

初めて一眼レフを手に入れた。ペンタックスMEスーパー
ローンですテヘ

1982年07月 箱根とFISCO

LTDを譲った同僚とお出かけした。
いつもの定番、大観山Pで

芦ノ湖スカイライン


FISCO

この時代のライダーの定番、革ジャンに革の黒長ブーツ
今はFSWっていうんだ。
この後、丹沢湖で遊んだ。

1982年07月 初めてのロングツーリング南九州

ロンツーレポは↓↓↓にまとめてあります。

ninjazx.hatenablog.com

1982年08月 清里松原湖日帰りソロツー

いつもはR20須玉からR141を入るのだけど、この日は小淵沢からアタック。
八ヶ岳横断有料道路、通称「鉢巻道路」
(現在は無料、通称「八ヶ岳高原ライン」すっかりオサレに)

ネガフィルムだと、たまにこういう失敗があるんだよね。
巻き取り半端?不足?が原因なのかなあ・・
せっかく当時のクルマがたくさん写っていて楽しいのに。
よくある失敗は途中で裏蓋を開けて感光させてしまうとか、
ひどいときはフィルムが巻き取りに引っかかってなくて、
1枚も写ってなかったなんてこともあった・・・

24枚撮りのフィルム代と現像&プリント代を純正仕上げで1500円弱だったかな。
薄給だったから写真は少ないよね・・・
今はデジカメで撮る枚数なんか気にせずバンバン撮れるから良いよね。

松原湖

日帰りオール一般道だったので結構な距離で疲れた。
(往復400キロ程度)

1982年08月 先輩と富士五湖めぐり日帰りツー

先週は疲れたと言いながら翌週にはまたツーリング。元気だよねえまったく・・
会社でもバイクブームに火が付き、乗る人が増えてきた。
このスズキDR250に乗る先輩とはプチツーもよく出かけたな。
いつもはソロ、または兄貴と出かけることが多かったが、
次第に会社の人とのツーが増えてくる。
また、出入りしているバイク屋さん主体のツーリングにも参加する。
小さいバイク屋さんだったが、台数がどんどん増えて最盛期には20台くらいにも。

相模湖駅にて

朝は天気が悪いけど、回復する予報なので信じて出かける。
途中までカッパだ。

河口湖に着くころには薄日も射して

西湖かな

忍野八海、こんな近くまで乗り入れできたんだな当時は

1982年09月 お出かけは4回

真鶴岬
奥多摩
明神峠〜三国峠
江の島プチツー

どれも写真ないみたい・・週イチで出かけたのかな。

1982年10月 松本城日帰り!下道で!

以前LTDを買った店に入り浸りで、すっかり常連に仲間入り。
大体バイク屋にはいつも常連客がたむろして、
情報交換とか他愛もない話とかをしていた。
バイク屋の親父さんは決して嫌な顔をせず、居心地も良くってね。
その店のチーフメカの人に誘われて、松本城日帰りツーに行く。
チーフメカさんのバイクはCB250RSZだ。赤だったので赤が3台。

帰り道、諏訪湖がよく見えるレストラン「パリエ」で御馳走してもらっちゃった。
ちょっとバイクのカッコだと浮くかも?立石公園のそばです。

オール下道で約500キロ、しびれましたあああ

1982年10月 水没前の宮ヶ瀬・中津渓谷へプチツー

DR250の先輩と2台でプチツー。先週の松本日帰りで身体が死んだからね。
下の写真は先輩のカメラの写真、どうりでネガが見つからなかったはずだ。
貴重な石小屋付近の写真もある。
宮ケ瀬の記念橋で

流石に10月なので水遊びの人はいません・・・
最近調べたらこの橋の名は「石小屋橋」と思われます。ここもダムの底・・

吊り橋なんてあったんだなあ・・

河原に降りて

せっかくお気に入りの場所だったのだけど、
なんかダムの底に沈んだかと思うとやるせない気持ちになるな。
でもあれだ、移転を余儀なくされた人の苦しみや悲しみに比べれば・・・

1982年10月 まだダートが残るヤビツ峠へ!

また先輩のカメラです。
ヤビツ峠、まだこの頃は宮ヶ瀬側がほぼダートだったと思う。
最近はすっかりチャリコースで有名らしい?
ダートと言うことで、先輩のツテでXLを借りて行きました。

借り物なので慎重に・・・でもダートって結構楽しいかも!
峠でお湯を沸かしてコーヒータイム。この先輩、用意がとても良いです。

1982年10月 会社の仲間と清里日帰り!

だんだんと会社でもバイク乗りが増えてきました。
今回から新メンバー追加です。
先輩ですが、渋くホンダCM250T。アメリカンな250です。
CM250T、DR250、LTD250、FXの4台です。

1982年10月 超高額の通行料金!ビーナスライン!お泊りツー

しかし、1か月のあいだに何回出かけてんだよ!って感じですね。
参加者は先輩CM250T、先輩DR250、私FXの3台です。
会社のツーとしては初めてのお泊りツーですね。
超高い通行料で有名な信州のビーナスラインへ(今は無料です)

セパレート型の革ツナギ(無名品)を購入、
ブーツはおごって「プロショップ高井」さんちの。
タツノオトシゴロゴマークで有名

国道20号をひた走り、茅野から蓼科〜ピラタス〜白樺湖
〜車山〜高原美術館のビーナスフルコース!
通行料金は2輪で全線2000円くらいと記憶。

蓼科湖は紅葉がイイ感じ

白樺湖から車山方面

ウラ八ヶ岳かしら・・・

ビーナスラインを満喫して美ヶ原高原美術館へ到着

かなり朝早く出たのに途中の景色が良すぎて遅くなってしまった

やばい・・もう夕暮れだよー

宿は安曇野穂高駅の近くにとってあるけど結構距離がありそう。
原美術館から松本・浅間温泉方面へ降りる道が細くてクネクネで、
下り始めたらすぐ真っ暗になってしまった
おまけにカラマツの落ち葉がすごくてタイヤを取られる・・・
やっとの思いで宿に到着した。

翌日は宿の人おすすめの、碌山美術館に行ってみるが朝なので入れない。

フインキはとてもいいですね

線路端です

初めて見る北アルプスをバックに

壮大な、まさに「壁」

たぶん大王わさび田かな?

穂高神社

今月2回目の松本城(笑

また下道をトコトコ帰りました。

1982年11月 伊豆半島ほぼ一周ツー

この年の春に東伊豆有料道路が全線無料開放されたようだ。
バイク屋さん主催のツーに行った。
10台以上の大所帯で、台数が多いと何かと大変だと思った。
信号で分断されたり、はぐれたり、道中でコケる人が必ず出るし。
いきおい休憩入れるタイミングが多くて時間がかかったりで、
帰宅は夜中だった・・・

1982年12月 箱根へ

よく行くよね、寒い箱根に

1982年12月 西伊豆忘年会ツー

会社のバイク仲間で西伊豆へ忘年会ツーリング。
今回からまた新たなメンバーが増えて5台です。
GSX250Eが新旧2台、VT250F、DR250、そしてFX400 。
CM250と250LTDは欠席です。

いつもの西湘パーキング

熱海の錦ヶ浦かな?

きれいな白浜海岸

このあと石廊崎を経由して、南伊豆有料(当時)を通り
今晩の宿は西伊豆・雲見の民宿だ。
忘年会なので飲んで騒いで!

翌日は堂ヶ島で観光船に乗って

ダイバーのダの字もない静かな大瀬崎

えっと、途中でひとりコケたかも!

1982年12月31日〜1983年元旦 真鶴岬で年越し初日の出!

寮でバイクに乗ってる人が大集合して年越しパーティー真鶴岬で。
鍋を囲んでたき火をしても寒くて寒くて寒くて
初日の出を見た後、帰ろうとしても渋滞で真鶴半島から出られませんでした・・・

1983年01月 ついに限定解除に合格!10回目!

1983年01月 Z400FXお別れ房総ツー

お世話になった思い出深いZ400FX、ナナハンの下取りでお別れです。
ドナドナ前に、最後一人で房総へとお別れツーに行ってきました。
川崎〜木更津の日本カーフェリーを使って。
さようなら、ありがとう。君はとても良いバイクだったよ。
名残惜しくもあるが、ナナハンに乗りたい気持ちがそれを上回ってしまったんだ。
9か月で走った距離は15,000キロ、我ながらよく乗ったものだと思います。
ちなみにFXでは転倒ナシでした。

特別編・FXのトラブルについて・・

兄貴が乗っていた当初、カムチェーンテンショナーに不具合が出て直してもらっている。
自分のときは、カムカバーからのオイル漏れ(まあカワサキなので)の修理、
メーターケーブル交換1回、燃料系不調のためキャブオーバーホール1回
やってもらっている記録が残っているが、そのくらいかな。
燃費は街乗りでリッター18〜20キロ、ツーリングで22〜24キロ、最高25キロでした。


番外編・限定解除試験チャレンジ

苦労話を聞きたくない人は飛ばしてね

Z400FXに乗り始めるのに前後して(1982年〜)限定解除試験に挑戦を始めた。
試験会場は住所のある神奈川県、二俣川試験場だ。
説明不要だが、当時ナナハン免許を取るためには自動車教習所で取得は不可、
試験場でのいわゆる一発試験のみ。(1975年10月〜1996年9月までの免許制度)

「落とすための試験」「合格率1〜2パーセント」「合格まで10回以上」などと、
まことしやかに言われていた。
実際の合格者数は50人受けて1〜2人、ゼロの日もあったので大げさではない。
試験が平日しかないので、融通の利く人じゃないと試験さえ受けられない。
受験者がとにかく多くて、試験が受けられるのは1カ月に1回、夏は2か月待ち。
申請書を複数枚作って人より受験回数多く受けてるあざとい輩もいた。

試験1回目に事前審査であえなく落とされて(半数くらい落ちた)
舐めてかかったらいかんと思った。事前試験車がGT750だったのだけど、
都市伝説になった「ガソリンタンクに砂をつめている」ように重くて、
1〜2回目はセンスタがかけられなかった。
「いやコンクリートを流し込んである」と言う人もいた。
2回も事前審査で落ちてすんごく悔しい思いをして、
それでFXで猛練習したんだけど、そのアホな練習方法が、

前下がりの路面でセンスタをかける(あぶねーよ

とか

人にシートに乗ってもらった状態でかける(あぶねーよ

・・なんつーことをやった甲斐があって、事前審査3回目には突破。
本試験車はCB750F-K、GS750Gの2台。
少し前まで前述のGT750も試験車だったそうだ。

試験コースは3種類。(実際は2つのコースしか使わなかった)
売店で売っているコース図を手に入れ、実際にコースを歩いてシミュレーションする。
(試験開始前は歩く人に開放されていた)
コースを完璧に覚えないと試験にならないので
(間違えても減点にはならないが)皆真剣だ。
本試験に進めた1回目は一本橋(10秒以上)であえなく脱輪、試験中止
当時の一本橋は確かマイナス1秒で10点減点だった記憶だが、
今は1秒につき5点マイナスとか?
とにかく7秒以上は絶対かけろ!と言われた。合格した時は8秒程度かな。
一本橋は落ちたら終わりだからね、他を完璧にやっつけるのみ!

7回目くらいから完走不合格まで行くようになり、
合否発表時にダメだった理由を教えてくれる。
合格まで合計10回1年近くを費やしたのですが
合格発表時に他の受験者が拍手で祝福してくれてうれしかったなあ。
うれしさのあまり受験者にジュースをおごりまくったかも?

これでZ400FX編は終わりです。
最後までお付き合い、ありがとうございました。

この後はいよいよナナハンに乗り換えです。
続きのZ2編はこちら↓↓↓から
ninjazx.hatenablog.com