1982年(昭和57年)7月 南九州ツーリング(Z400FX)

これを書いたのは2010年5月です
記憶違いもあるかもしれないので、あしからず。

会社の同僚(鹿児島出身)が里帰りするから「バイクで遊びに来ない?」なんて誘われて。
じゃあついでに宮崎県日向市に住む親父の顔でも見てくるか!・・・のツーリングです。

1982年(昭和57年)7月20日 バイクはフェリーで無人航送
1982年(昭和57年)7月22日 鹿児島を目指す(日向〜鹿児島)
1982年(昭和57年)7月23日 桜島から都井岬で豪雨(鹿児島〜都井岬)
1982年(昭和57年)7月24日 豪雨の爪あと(都井岬〜日向)
1982年(昭和57年)7月25日 高千穂へ
1982年(昭和57年)7月26日 帰途

1982年(昭和57年)7月20日 バイクはフェリーで無人航送

当時住んでいた川崎から南九州へ旅立ちです。
旅の相棒はカワサキZ400FX
その頃はまだ船の旅の魅力が分からなくて、船より汽車旅が好きと言うこともあり、
バイクは船で送り、自分はブルトレ「富士」で九州へ。
宮崎・日向の父宅をベースに南九州を回る計画。
自分は小学生時代の数年間を宮崎市内で過ごした経験がある。
父はそのまま宮崎にとどまった。
ちなみに当時の船は日本カーフェリーの高速船(途中寄港なし)で、
鉄道と所要時間がほぼ同じ。

寝台特急「富士」 東京発18時00分 宮崎県・日向市着14時40分

日本カーフェリー 川崎発18時30分 宮崎県・日向港着14時30分
(記憶違いがあるかも)

無人航送ってどうするのって?
港まで自走して積み込みを依頼、到着港では降ろしておいてもらって、後で取りに行く。
自分で積み下ろしをすればその分安く上がります。
自分は川崎・浮島港と日向・細島港にあらかじめ積み下ろしを依頼しました。
バイクは船で、俺はブルトレで汽車旅を楽しみながら九州入りする。

日本カーフェリーの参考写真、川崎浮島港にて1981〜1982年撮影
煙突の日本カーフェリーのシンボルマーク、カッコイイ!

ちなみにこの由緒ある日本カーフェリーは・・・
シーコムフェリー→マリンエキスプレス→2005年6月廃止の悲しき運命

1982年(昭和57年)7月22日 鹿児島を目指す(日向〜鹿児島)

バイクを日向の細島港で受け取ったあと日向市内の父宅で一泊し、
翌日、鹿児島に帰郷している友人を訪ねて行く。

途中、宮崎県日向市〜都農(つの)町間にある国鉄リニア実験線を見学に行く。
あいにく試験走行を見ることはできなかった・・・・


1979年(昭和54年)12月に無人運転で517 km/hの速度記録を達成している。
1996年(平成8年)宮崎実験線でのリニア走行試験は終了し、
現在は放置?・・・と思いきや何だかソーラー発電の基地に??

リニア実験線があった都農町と言えば農業・酪農地として有名、
2010年5月の現在、口蹄疫で被害甚大・・お見舞い申し上げます・・

国道10号を走り、途中の佐土原(さどわら)から一ツ葉有料道路に入る。
本来有料道路は避ける性分だけど、少年時代からここをバイクで走ってみたかった。
海沿いのとても気持ち良い道(海は防風林で見えないけどね)

なんと言っても車が少ないんだよねー

宮崎市内へ入り、少年時代よく遊んだ大淀川のほとりで想い出に浸る。
向こうに見える鉄橋は国鉄日豊線

当時の有名ホテル「フェニックス」
駐車しているクルマも時代感タップリだね、だるまセリカとか。


2008年に再訪したら、ホテルは廃業していて老人向け施設?のような感じだった。

宮崎から国鉄日豊線沿いの国道269号を経由して都城、そこから国道10号を南進。

国道10号の山間部から海に下りてきて、錦江湾に浮かぶ鹿児島のシンボル桜島が見えたとき、
猛烈に感動した。
鹿児島の人は故郷に戻ってきて桜島を見たときに「思わず吠える」、と友人が言っていた。
ホンマかいなー・・と思っていたが「そうかも」とも思えた瞬間だった。

国鉄鹿児島駅国鉄バスが懐かしいね

路面電車も健在

鹿児島市内の友人宅を訪ね、大いに歓待される。
初めて食べる「きびなご」の刺身、これがいちばん美味かった!!
よくまあ、あんなに小さな魚をきれいに捌けるものだ。
こんな俺のために(友人のお袋さんが)手間暇かけてくれたのが、とてもうれしい。

友人宅泊

本日の走行

1982年(昭和57年)7月23日 桜島から都井岬で豪雨(鹿児島〜都井岬)

お世話になった友人と家族にも丁寧にお礼して出発。
友人のお袋さん、俺に「あとで食べてね」と、おにぎり持たせてくれたぜ・・
泣けるなあ・・・ありがたくいただきました。

桜島へはフェリーですぐ。
乗るときは券も買わないでそのまま船に乗り込んで、降りるときに払う。
国道の代わり・・・みたいな感じで本数も多い。

溶岩道路を走る

桜島ってやっぱりアレだな
近くで見るより、市内から海に浮かんで見えるのがいいかも

このあと天気が怪しくなっていく・・・

九州最南端・佐多岬も考えたが有料道路の高さに断念。
行っておけば良かった、と思うな。

注:現在、道路は一部無料化される
再度注:2012年10月30日より全線無料

桜島から志布志都井岬を目指す。
野生馬で有名な都井岬

サルもいる

都井岬YHに着くころには雨が降り出し、夜はものすごい雷雨になる。
雨は滝のように降り続き、雷鳴は間断なく轟く。

「これは尋常じゃないな」

とりあえず同室の京大生と風呂に入るが、
ついに途中でユースは停電してしまう。
風呂は停電で真っ暗になってしまい、雷鳴と稲光が凄くて恐怖を覚えたが、
京大生は相変わらずのんびり風呂につかっていたなあ・・・
電気が復旧したかは覚えてない。
どうか建物に落雷しませんように、と願うだけ。

都井岬YHに泊

本日の走行

1982年(昭和57年)7月24日 豪雨の爪あと(都井岬〜日向)

都井岬ユースで朝のニュースを見て驚いた。
夕べのただならぬ豪雨で、長崎では「めがね橋」が損壊したらしい。
「まだ見たことないのに残念」と思う。
雨はほとんどやんでいたので出発する。
道のところどころに夕べの豪雨の爪あとが残っている。
回り道を強いられる場面も多々あった。
都井岬から日南海岸へと進む。
天候は回復してきた。

日南海岸のサボテン公園


サボテン公園→サボテンハーブ園→2005年3月末閉園という変遷だそう

青島

青島は少年時代に何回か海水浴に来た。
当時は沖合に飛び込み台みたいな櫓(やぐら)が設置されていた記憶がある
砂浜がきれい、海もきれいでお気に入り。

国道10号をひた走り、日向の父宅に戻る。

本日の走行

1982年(昭和57年)7月25日 高千穂へ

日向から延岡、国鉄高千穂線に沿って国道を高千穂に向かってFXで走る

先日の豪雨で増水した五ヶ瀬川に架かる高千穂線・第三五ヶ瀬川橋梁

高千穂線も厳しい山合いを走る

高千穂橋梁(当時東洋一と言われた名橋。汽車に乗ると鉄橋上で徐行してくれたりする)

ローカル線の終着駅、高千穂。

駅前に「高千穂線廃止反対」の文字が目に付く。

この先、阿蘇まで線路をつなげるべく工事を進めていたらしいが頓挫したとか。


国鉄高千穂線→JR九州第三セクター高千穂鉄道→台風で鉄橋流出→2008年廃線という流れ

高千穂から延岡方面に戻る。
延岡のちょっと北のほう、国鉄日豊線の北川と言う駅。

北川駅近くの北川と言う、とてもきれいな川。
日豊線に乗ると、車窓を楽しませてくれる川。

沈下橋もあるね

北川〜日向長井間の北川の鉄橋

これは日豊線の旧型客車タイプの普通列車
車両出入り口の扉は手動で、走行中に開けっ放しでも当時は平気。
止まる前に降りたり(たいてい転ぶ)、動き始めてからも人が平気で乗るし。
今じゃあ考えられないね(笑

ちあきなおみさんの歌に「喝采」=(1972年レコ大受賞)と言う曲があるんだけれど、
「動き始めた汽車にひとり飛び乗った・・・」なんてフレーズは、当時の人じゃなければ分からないよね。
昭和のコドモたちは、こう言うオトナの歌を聴きながら歌いながら育ったのです、もちろん意味など分からず。
ああーちょっと脱線したな。

たぶん寝台特急「彗星」か「富士」

本日の走行

1982年(昭和57年)7月26日 帰途

帰りも同じパターンでバイクはフェリーで無人航送、
自分はブルトレで帰った。
まだ「少年時代」の、初めてのソロ・ロングツーリング。
ツーリングライダーにほとんど会わなくて、ちょっと寂しかったかな。

使用したカメラ:ペンタックスMEスーパー

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