1984年(昭和59年)6月〜7月 北海道ツーリング(カワサキZ2)

まえがき

去年1983年は能登にソロツーリング。そして今年はついに憧れの北海道へ・・・ホントはソロで行くつもりだったのだけれど、なんだかんだ?で会社のバイク仲間(初代ガンマ250&GPz400)も同行することになった。合計3人でのツーリングです。基本はキャンプで、風呂と飯のために宿での宿泊を織り交ぜる、という計画。宿はYH(ユースホステル)や、今で言う「とほ宿」を渡道前に予約しておいた。当時はバイクブーム真っ只中で、7月に入れば有名宿(=安くて良い宿)の予約も困難な状況。事実、サロマの「船長の家」は7月初旬平日でも予約で満杯だった。ライダーハウスみたいな形式のところは(多分)当時は無くて、あったとしても帯広の「カニの家」かな。なにせ今みたいにインターネットなんて便利なもの無いから情報はとても少ない。そんな当時の貴重な情報源はバイク雑誌。開陽台の紹介記事を読んで「もう絶対行くぞー!」と。そう言えばバイク小説「振り返れば地平線」も読んだっけな。

注:これを書いたのは2010年5月です。
なるべく当時を思い出しながら忠実に再現したけど、
記憶違いの場面もあるかもしれませんので、あしからず
写真はネガスキャナで読んだもの。

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1984年(昭和59年)6月28日 日本沿海フェリー東京有明港出航(横浜~有明港)
1984年(昭和59年)6月29日 船の中
1984年(昭和59年)6月30日 北海道・苫小牧港上陸(苫小牧〜留萌〜サロベツ)
1984年(昭和59年)7月1日 日本最北端の地へ(サロベツ〜宗谷岬〜クッチャロ湖)
1984年(昭和59年)7月2日 美幌峠は冬だった(クッチャロ湖〜美幌峠〜屈斜路湖)
1984年(昭和59年)7月3日 霧の摩周湖(屈斜路〜阿寒湖〜摩周湖〜知床)
1984年(昭和59年)7月4日 聖地・開陽台へ(知床〜野付半島~開陽台)
1984年(昭和59年)7月5日 休養日??(旧展望台の中)
1984年(昭和59年)7月6日 単独行動(摩周湖&知床峠再チャレンジ)
1984年(昭和59年)7月7日 開陽台の夜明け(開陽台〜納沙布岬〜霧多布)
1984年(昭和59年)7月8日 釧路へ(霧多布〜厚岸〜釧路)
1984年(昭和59年)7月9日 さようなら北海道(釧路港〜)
1984年(昭和59年)7月10日 夜に東京港入港(有明FT~横浜)
あとがき


1984年(昭和59年)6月28日 日本沿海フェリー東京港出航(横浜~有明港)


俺の住む横浜の寮に集合して出発。

往きは東京有明フェリーターミナルから日本沿海フェリーに乗り、
苫小牧まで船内2泊30時間の船旅。

記憶では23時頃出航して、翌々日の5時くらいに苫小牧に入港

見送りに寮の先輩やら同期生やら俺の兄貴も来てくれた。
当時は北海道に旅立つライダーを港まで見送りに行く・・というのが恒例行事だった。

発売(逆輸入)されたばかりのGPZ900RニンジャA1(兄貴の愛車)に皆興味津々!

兄貴とNinja


1984年(昭和59年)6月29日 船の中

船は1万トン級にもかかわらず結構揺れて、相棒ふたりは船酔いでダウン。
俺は乗船時に酔い止めを貰って飲んで(当時は船でタダで貰えた)平気だった。
親切心で「ふたりとも飲んでおけば?」と言ったのにさ。

途中で船は梅雨前線を抜けて快晴の中、北の大地を目指す。
梅雨前線(の雲のかたまり)が目で見えるなんて驚いたなあ・・・

関東が梅雨でジメジメしている時に梅雨の無い北海道を満喫しようと
この時期に予定を組んだのです。
7月の北海道は花盛りらしいし。


1984年(昭和59年)6月30日 北海道・苫小牧港上陸(苫小牧〜留萌〜サロベツ

さていよいよ憧れの北海道に上陸です。
苫小牧は大工業地帯で、全然北海道の実感はない!
が、しばらく走ると気持ちのよい道が続く。

今日のルートは苫小牧〜留萌〜サロベツまで。
サロベツの「あしたの城」という宿に予約を入れてあります。

今もサロベツで営業しています「あしたの城」
http://sarobetu.info/

今も昔も北海道は交通取締りが厳しくて、「特に街の入り口に気をつけろ」と。
このツーリングで取り締まり(ネズミ)に遭遇したのは2回だったけどセーフ。

留萌駅にて。
バイク雑誌に出ていた留萌の格安食堂があいにく定休で、駅近で探して適当な店に入る。
ガンマくんが「鮭づくし定食¥2,500」なるものを注文して驚いた。スゲー美味そう!
初日からぶっ飛ばすなあ、と思ったら会計で青い顔をして「250円」だと思って注文した、と告白。
一桁間違えるやつなんかいるのかよ!オチャメな奴・・・・・

留萌で昼ごはんを食べたあと、日本海沿い国道232号を気持ちよく北上。
制限速度+αで走る俺たちをバンバン追い越す道内のクルマの多いこと、飛ばすねえ・・

この写真どこで撮ったか忘れてしまった。
写真の時系列で留萌と天塩の間であるのは間違いなさそう・・・

この当時は特に「オロロンライン」という呼び方は聞かなかったな。
通称は「天売国道」だったね

天塩川の河口でひと休み。

ここから国道232号を離れ、まだ未舗装である海沿いの道道909号(当時、現在は106号)を行く。
このほんの数年後、舗装されたらしい。

ちなみに1982年(昭和57年の地図)

地図の矢印の先、白抜きの緑色の道道は未舗装
地図によると道道909号は昭和57年夏ごろより全線開通、と書いてある。
するとまだ全線開通して2年くらいなのか。

道道909号は固く締まったダートでとっても走りやすい。
って言うかクルマほとんど全然通らないし。
とにかく「何にもナイ」のが実感できる。

未舗装のオロロンライン

「hey you, なぜこんな何にも無いところで写真を撮っているんだい?」
「何にもないのが珍しくて写真を撮ってるのさ」
みたいな感じ?

すごく残念だったのは、海の向こうに利尻富士が見えなかったこと。
ほとんど丸一日走り続けて宿に到着、荷物を預かってもらい
夕暮れのサロベツ原生花園に行く・・・が全然花が咲いてない・・・

本日の走行ルート

1984年(昭和59年)7月1日 日本最北端の地へ(サロベツ宗谷岬〜クッチャロ湖)

「あしたの城」の前で、宿泊者と記念写真。

いつの間にかフラッグ手にしてるしw

宿を出て稚内を目指す
また昨日の続きの道、道道909号でダート走行だ。

未舗装のオロロンライン

風ビュンビュンのノシャップ岬

そうしていよいよ最北端・宗谷岬

いったい何人の人がこの前で写真を撮っただろうか

今もあるのかな?このお店・・・

今日は特に決めてないけど適当にオホーツク側を南下する。

あまりにオホーツク海がきれいで記念写真大会

今日の宿泊はクッチャロ湖のキャンプ場に決めた。
相棒ふたりはテント設営が初めてというので、明るい時間にキャンプ場入りする。

飯盒で炊飯してレトルトカレーをかけて食べていたら
釣りに来ていたキャンパー(道民さん)に、「バーベキューやるからおいでよ」と誘われご馳走になる!

しこたま食べて飲んで芝生に寝転がれば満天の星・・・・
本当に気持ちよかったなあ・・・

本日の走行ルート


1984年(昭和59年)7月2日 美幌峠は冬だった(クッチャロ湖〜美幌峠〜屈斜路湖


のんびり起きてのんびり出発。
今日の予定はクッチャロ湖〜サロマ湖〜美幌峠であとは適当に。
サロマ湖は真夏の暑さで脱ぐ脱ぐ
立ってるのが若き日の俺。(今は+25キロ)

お湯を沸かしてカップヌードルでお昼、若かったしボンビーだったし「美味しいものを食べよう」とか
あんまり思わなかったな・・(といえば嘘になるかも!)

今はツーリング先でお湯を沸かして自然の中でカップめんを食べる「ラーツー」が流行だそうです。
時代を先取り!

ところが美幌峠は(関東で言うところの)冬の気温で・・・

ナニコレ距離は近いのに気温の激しい変動は・・・・
ところで知らなかったけど美幌峠って大観光地なのね、観光バスだらけ。
おまけに霧雨で視界は良くない。
美幌名物ジャガイモを揚げた「あげいも」美味しかった。


今日の宿泊は屈斜路湖畔のキャンプ場にキメ。
クッチャロ湖からクッシャロ湖・・・ふふふ・・
砂を掘ると温泉が湧いてくるとか。
手で掘ると確かに出てくる。
しかし入浴には無理がありそう?足湯が良いトコ

今晩もテントで寝る。
夜中に雨が降っていた。

本日の走行ルート


1984年(昭和59年)7月3日 霧の摩周湖(屈斜路〜阿寒湖〜摩周湖〜知床)

今日の予定は・・・阿寒湖〜摩周湖オンネトー〜知床
知床ユースを予約してある。

阿寒湖は想像通り大観光地で、ちょっと寄っただけ。
ちょっとかわいそうなキタキツネ

この当時、ちょっとしたブームになったオンネトー湖。
今(=これを書いている2010年)で言う神の子池ブームみたいなものかな?

オンネトーへの道は、深砂利ダートで怖かったなあー
観光バスも大挙して押し寄せてくるしネ

やっぱり?霧で見えない霧の摩周湖

知床半島を走り、知床五湖へと。
小雨が降っているので合羽を着たまま散策する。
ここは熊注意ポイントであるね

結構疲れた・・・・

「夕陽のあたる家」知床ユースに泊まる。

3日ぶりの風呂だー
風呂風呂!飯飯!wガッツリ食べる。

本日の走行ルート


1984年(昭和59年)7月4日 聖地・開陽台へ(知床〜野付半島~開陽台)

今日はウトロから野付半島で遊んで、開陽台を目指す。
1980年全線開通した知床横断道路は最近舗装されたらしい。
天気が悪かったので、このときの知床横断道路写真はないようだ。

野付半島

トドワラにも行ってみる。
なんか荒涼としていて・・・
枯れ木を他所から運んで置いてあると言う噂が当時はチラホラ

バイク雑誌に載っていた写真の道を探して

心を釘付けにした一枚の写真。
当時愛読していた「モーターサイクリスト」の北海道特集ページ。
アップダウンをしながら地平まで伸びる直線道路・・
それは中標津の開陽台と言うところらしい。
場所も良く分からなかったけど、開陽台の展望台に行く途中で見つけた。
北19号線と言うらしい。(現在では一般的に「ミルクロード」)

「ここか?!」
「ここだよ、おい!!」
「やったー!!」

このツーリングの最高の興奮状態でした。
しかし曇天だったので写真は後回しに

そして開陽台の展望台を探して無事たどり着く。

開陽台の旧展望台

開陽台の旧展望台:のちに「カメハウス」と呼ばれるようになって、
多くのツーリングライダーたちに愛され親しまれたのはあまりにも有名。
当時は何も考えなかったけど、今考えればバイク乗りたちによって
占拠状態にあったわけで、今は深く反省しています(棒読み)


この84年には何かしらの工事のための測量が始まっていた。
(多分)測量用のポールが立っています。

さてさて展望台には(何日も風呂に入ってなさそうな)先住人たちが6〜7人いた。
挨拶して仲間に混ざる。無事受け入れてくれた。
なんか一ヵ月以上住み着いてる人がいるらしい??
あなたですよあなた!パリダカの人!あなたです(笑)

荷物をといて麓の街に買出しに行く。
街の小さなスーパーみたいなところで食材を買い込み、
店の人に聞かれたので「開陽台に泊まるんだ」と言ったら
少し怪訝(けげん)な顔をされた。
もうすでに街ではライダーのマナーとか問題になっていたのではないか。
「みつばち族」なんて言葉が道内でささやかれ始めた時代。

みつばち族=ミツバチ族の語源はブンブンうるさいから・・
排気音がミツバチの羽音に似ているら・・・

・・・ノンノン・・・

花の咲いている夏の期間だけブンブン飛び回るから
=花の咲く頃飛んできて、花が終わる頃にはすっかりいなくなるから。

の方が当時のニュアンスに合っているかな。
皮肉交じりなのは確かだけど。

食材を仕入れて、旧展望台で料理を作り、先住人たちに振舞って喜ばれる。
酒量も進み大いに盛り上がったなー。
夜はあの狭い展望台に10人くらいでひしめき合って寝た。

人口密度に耐え切れなくて外にテント張った人もいた。
開陽台の魅力「とにかく星がきれい」と言うことで楽しみにしていたけど
その夜は見えなかった。
しかしキタキツネという名の客が来た。

いや違うな、キタキツネがここいらの住人で俺たちがよそ者だな。

開陽台旧展望台1泊目

本日の走行ルート

1984年(昭和59年)7月5日 休養日??(旧展望台の中)


開陽台の星が見たくて開陽台をベースキャンプに、連泊を決める。
今日は朝から雨。
日展望台の中でうだうだ過ごす。

まだ開陽台最大のウリ、ぐるり地平線を見てない。
おまけに今晩も星が見えない。

開陽台旧展望台2泊目・走行距離ゼロ

1984年(昭和59年)7月6日 単独行動(摩周湖知床峠再チャレンジ)

今日はそこそこの天気なので各人が自由行動、
おのおの日帰り?ツーリングに出かけた。

俺は天気が悪くて何も見えなかった知床峠摩周湖
再チャレンジするルートを決める。

北海道に来て初めてひとりで走る。
気のせいかな、すれ違うバイクのピースサインしてくる率が3人で走るときより多いかも?

ソロツーのときは誰とでもすぐ打ち解けて仲良くなるけど
グループでいるとやっぱりグループ内で固まってしまうから
案外と知らない人と仲良くなれないな・・・

旅先で知り合った気のいい奴らが、いつの間にか道連れとして増えてツーリング道中を一緒に走り、
それぞれの目的の分かれ道で、別れ際にホーンを鳴らしてお互いの旅の無事を祈る。
あの瞬間がたまらんね。
俺、去年の能登でそんな感じで最後ひとりになったとき、涙で前が見えなかったもんな。
やっぱりソロはいいな。

知床峠から国後島が見えた。
初めて見る外国?いえいえ日本の領土です


美幌峠もまあまあの天気

眼下は屈斜路湖

天気は冴えないが摩周湖は見えた!!

途中の道で、対向のバイクにピースサインしたら
仲間のガンマ君だったよ。
笑ったな。
照れながらピースするなよ、シャイな奴だぜまったく。

開陽台旧展望台3泊目にしてようやく星が見えた。
展望台の屋上で、皆で無言で寝転んで星を見る。
まるで自分に降りかかってきそうだ。
その天体ショーは言葉にしがたい。
まこと人間なんてちっぽけな存在だな、宇宙では。

本日の走行ルート


1984年(昭和59年)7月7日 開陽台の夜明け(開陽台〜納沙布岬〜霧多布)


この時期の開陽台の夜明けは早い。
3時頃から白み始めるんじゃないかな。
ただ黙って見てる。
1年365日、何年も何十年も何千年も同じ光景が当たり前のように繰り返されているのだ。
この星の歴史において、ひとりの人間の寿命なんてまばたきするより短いのであーる。

・・・な~んて事をガラにもなく考えたりしてね。

今晩の宿泊を浜中町霧多布に予約してあるので出発せねば
今日の予定は開陽台〜ノサップ岬〜霧多布だ。
開陽台最後の日にきれいに晴れてくれて本当にうれしかった
いやホント、ここでもっと過ごしたいな。

好天になったので北19号線で記念撮影大会

日本最東端ノサップ岬に到達

北方領土のいちばん近い水晶島なんて望遠鏡で見たら
ロシア人が確認できるくらいだじゃなかったっけ?

根室から霧多布岬へ

ここの岬にある喫茶店でお茶したんだけど、
まあ色々と乾物系の北海道名物を(タダで)食べさせてくれた。
初めて食べる氷下魚(コマイ)の美味しさときたら・・・
わざわざあぶって出してくれるの、店の人。

今晩の宿は「きりたっぷ里」

宿のウリは鮨と、蟹食べ放題。
カニは花咲ガニ、濃厚でうまかった。
殻はトゲトゲして痛いけどね。

今も営業中「きりたっぷ里」
http://www.h4.dion.ne.jp/~tappuri/

食後は花火にスイカ割り大会で大いに盛り上がる。
宿泊客は女の子も結構多くて若い人ばかりで超満員。
男はと言うと、異常に女に飢えてるオオカミばかり〜

本日の走行ルート

1984年(昭和59年)7月8日 釧路へ(霧多布〜厚岸〜釧路)

今日は厚岸を通り釧路へ

厚岸大橋

釧路湿原に行ったけど、霧で何も見えなかったよ・・

もうツーリングも終わりに近づいてきて
なんだかやるせないなあ・・・

北海道最後の夜は釧路市内の会社所有保養所ぬさまい荘に泊。

本日の走行ルート


1984年(昭和59年)7月9日 さようなら北海道(釧路港〜)

すごい名残惜しかった・・・帰りたくない・・・

釧路港より近海郵船フェリーで東京へと。
帰りは船中一泊だった。

1984年(昭和59年)7月9日 7月10日 夜に東京港入港(有明FT~横浜)

全行程

使用したカメラ:ペンタックスMEスーパー

あとがき

合計11日間の北海道ツーリングも幕を閉じた。
初めてバイクで走った北海道。
事故も違反検挙も無くて何より。
途中、阿寒でバイクの死亡事故のニュースやってたな。
確か白バイの事故だったと思うけど・・南無。

この北海道ツーリングの愛車はカワサキZ2。
普段は集合マフラーを装着してるけど
センタースタンドがないとパンク修理がキツイので、
ノーマルマフラーに替えて行った。

持っていった予備パーツとか

スペアチューブ前後
チューブタイヤ用パンク修理キット
タイヤポン
タイヤレバー2本
クラッチ&ブレーキレバー
スロットルケーブル
クラッチケーブル
予備バルブ類
スパナやレンチ、ドライバーなど工具類
トラブルはレギュレーターがイカれてバッテリーが干上がったくらい

最後まで読んでいただきありがとうございます