バイク備忘録 1983年1月 カワサキZ2編

注:これを書いたのは2015年9月です。
当時と今とでは社会の寛容度や時代背景も隔世の感があり、
現在の常識にそぐわない場面もあるかもしれませんが、
「そんな時代もあったな」と、適当に笑って流してください。
よろしくお願いします。

Z2と言うと最近は4輪のタイヤだったり、スマホタブレットだったり(笑
当時は「ゼッツー」と呼ぶ人と、「ゼットツー」と呼ぶ人がいました。
「ズィーツー」?聞いたことないなあ(笑)
関西は「RS」と呼ぶ、って聞いたかもしれない。
私的には初期のZ2から最終のトリプルディスクZ750DまでをZ2と呼んでも
全然差支えないかと思う。まあどうでもイイと思うけどね。
とりま「Z750RS」って書き方だけやめてね。

コンテンツ(クリックでジャンプします)

1983年01月 憧れていたZ2を手に入れた!
1983年01月 Z2で初めてのツーリングは箱根!真冬だぞ!
1983年02月 早春の房総新年会ツー
1983年03月 ソロで伊豆ツーリング
1983年03月 日本平&三保の松原へ1泊ツーリング
1983年03月 ソロで早春の信州へ2泊の旅
1983年04月 秩父方面へ桜などを、正丸峠〜長瀞日帰りツー
1983年05月 富士5合目ツー(今でいうとオフ会ツー)
1983年05月 盛り上がるバイクブーム、レースの世界でも!
1983年05月 リバーサルフィルムとやらを清里で!
1983年06月 箱根へバイク屋さんツー
1983年06月 筑波レース観戦
1983年06月 ゼッツーがゼッ不調
1983年07月 秋川渓谷へ
1983年07月 鈴鹿8時間耐久レース初観戦!もちろん4時間耐久も!
1983年08月 能登半島ツーリング
1983年09月 富士五湖めぐりツー 何回目だ!
1983年09月 箱根ソロ
1983年10月 紅葉の五色沼へ1泊ツー
1983年11月 箱根ソロ
1983年11月 ノーマルマフラーから集合管に交換
1983年11月 フロントをWディスク化!
1983年12月 リムとスポーク交換とタイヤ交換とバックステップ
1983年12月 西伊豆へ忘年会ツー
1984年01月 寮のメンバーで初日の出
1984年02月 東伊豆小室山へ
1984年03月 鈴鹿開幕2&4観戦
1984年04月 久能山いちご狩り日帰りツー
1984年04月 横浜に引っ越し
1984年04月 横浜赤レンガ倉庫で撮影
1984年05月 最初で最後?筑波サーキット走行会
1984年06月 白樺湖〜諏訪湖1泊ツー
1984年06月 椿ラインで撮影会
1984年06月 初めての北海道ツー
1984年07月 オールペン!大胆ライムグリーンに!
1984年07月 鈴鹿8耐観戦 2回目!行きにアクシデントが!
1984年08月 メンテナンス備忘録
1984年09月 富士五湖一泊ツー
1984年10月 道志〜山中湖ツー
1984年11月 奥多摩〜柳沢峠〜塩山 日帰りツー
1984年12月 西伊豆忘年会ツー
1985年02月 何をトチ狂ったか九十九里で真冬の野宿
1985年03月 清里日帰りツー
1985年04月 会社での転換期、長期研修生活
1985年06月 足回り一新!キャストホイール流用
1985年07月 短期決戦!鈴鹿8耐観戦
1985年08月 伊豆へキャンプツー
1986年04月 地獄のSUGO(宮城県)日帰り下道強行軍750km!
1986年07月 鈴鹿8耐観戦4連続4回目
1986年08月 ソロで五色沼キャンツー
1986年09月 ライムグリーンと八ヶ岳ソロ
1986年10月 寮の仲間と清里へ
1986年11月 奥多摩〜柳沢峠
1987年04月 年貢の納め時(死語?
1990年02月 Z2と涙のお別れ

1983年01月 憧れていたZ2を手に入れた!

ついに「10代でナナハンに乗ってやる!」と言う目標が達成された。
Z2が納車された日はハタチまであと5日くらいと言うとき。もうギリギリ・・・

Z2に憧れたきっかけは・・・
兄貴が箱根でFXをコカしたときにさっそうと救助に当たってくれたカッコいいお兄さん。
そう、その人がZ2に乗っていました。
4本マフラーがカッコよくって惚れました。その人に?バイクに・・・
憧れのZ2に乗るために限定解除したと言って良いでしょう。
おかげでモチベーションを高められた。

でも、ですね今でこそ古いカワサキは空前の絶版車ブームでもてはやされてますが、
もうこの時代にはZ2は単なる過去のモデルの扱いでしかなかった。
カワサキのナナハンとしての系譜は
マッハH2→Z2→Z750FX→Z750FXⅡ→Z750FXⅢ→Z750GP→GPz750
ボクのZ2は1975年(昭和50年)登録の「Z2A」と名乗る、Z2として2番目のモデル。
購入したのが1983年だったので、すでに8年落ち。
価格もそれなり(検2年付き乗り出し30万円くらい)だった。
(750SSも20万円台だった)
急激に進歩するバイク界。
すでにインジェクション搭載車やらターボ車もデビューしている。
H2もZ2も過去のバイクになっていくのか・・・

でもバイク雑誌も目先の新しい物ばかりでもなく、
ごくたまにZ2にもスポットを当ててくれたり。

「ロードライダー」と言う雑誌。読みすぎてボロボロなのはご愛嬌。
カワサキ」と付く雑誌や書籍は何でも買い漁ってました。薄給なのに。

上野バイク街のバイク屋さんの店頭(越路モータースさん)で
1975年2月登録のタイガーを発見、試乗OKということで
生まれて初めてZ2にまたがって上野の街を走りだす
CB750ほどではないけどノーマル4本マフラーから吐き出されるエクゾースト
もう一発で虜です。価格交渉もそこそこに即決でした
ちょっと好みの改造ではなかったので、ノーマルに戻してもらった。
多分フルノーマル・・・かと思いきやハイフラとかそのままだった。
ホントは初期のいわゆる火の玉カラーが欲しかったのだけど、
あせって探す時間が少なくて見つからなかった。
頑なに10代でナナハン!に拘ったからねー
ま、月刊誌の広告なんて古い情報ばかりだし、
結局アシで探す=まとまった上野が便利、ということになるのかな。
今みたいにGooBikeさんとかBikeBrosさんとかで探せるならホンッと!いいけどね。

これからZ2との日々がスタートです。

1983年01月 Z2で初めてのツーリングは箱根!真冬だぞ!

過去に箱根で凍結でコケてるくせに懲りない奴だ。
南斜面で比較的陽当たりの良い=凍結してなさそうな椿ライン経由でいつもの大観山P
(でも真冬の箱根なのにバイクいっぱいいるよね)

220km/hメーターがZ2Aの証し。懐かしの速度警告灯(笑
中古車はメーター戻しなんか当たり前の様に行われていたな。
特に上野バイク街なんて魑魅魍魎の世界か。
いくらなんでも8年落ちでこの距離はないでしょう。パッドもすぐ終わったし。
何を考えてるのか死ぬほどギチギチにチェーンを張ってあってすぐ直した。
何しろ手のかかるバイクであったZ2、
整備の基本諸々を必然的に覚えて行くのでした。
パーツ供給についてはこの段階で欠品はなかったな。
手放す頃は何点か製廃があったようだ。

御存じサイドカバーのエンブレム!かっこいい!ワックスの拭き残しはご愛嬌

芦ノ湖畔に移動です

初のツーリングの感想は・・・重い!ブレーキ効かねー!
ポジションは思いっきり「殿様乗り」、別名「白バイ乗り」
まあ威風堂々って感じで由としよう。
憧れていた4本マフラー、そのエキゾーストはなかなか迫力モノです。
例のヒュルヒュル音も交じって楽しいです。
ノーマルの音的にはCB750の4本マフラーから吠える
野獣の雄叫びの方が良かったと思う。

しばらくはフルノーマルで乗りました。

1983年02月 早春の房総新年会ツー

会社のメンバーでの房総ツーリングです。
参加は7台、新参加の先輩SR500、GSX250E新・旧、VT、CM、DR、Z2です。
もちろんアクアラインなんかまだまだないので
川崎〜木更津の日本カーフェリー航路を使って。

川崎・浮島港フェリーターミナル
(まだ日本カーフェリーターミナルの看板ですね)

チケットを買ってバイクの列に並びます

この航路はアクアライン開通(1997年12月)の際に廃止されました。
明石家さんまさんのテレビドラマの舞台になったことで
脚光を浴びたこともあったねー

木更津〜養老の滝〜御宿〜千倉の民宿へと

養老の滝へは面倒くさがって誰も降りない・・・

御宿の月の砂漠モニュメント、冬の日暮れは早い・・

一応、カタチ上は「新年会ツー」なので飲んで騒いでごめんなさい・・
深夜の心温まる差し入れ、ありがとうございました。
お世話になった民宿です。

早春の房総と言えば花摘み。千倉周辺にもたくさんあります。

帰り道、鋸山〜マザー牧場

千葉出身なので、どちらも遠足で行った記憶が・・・

トラ騒動で有名になった神野寺の前を通り、「ここか!」と、盛り上がる。

今回はノートラブルなツーリングでした。めでたし。

1983年03月 ソロで伊豆ツーリング

記録によると東伊豆〜河津〜七滝ループを走っているが、写真ないなあ・・・

1983年03月 日本平三保の松原へ1泊ツーリング

まだ3月中旬、雨が降って寒い日だったけど、宿を予約しているので決行。
会社のバイク仲間とのツーリング。
参加は7台、初参加の先輩CB750FZかFA、SR500、GSX250E新・旧、、CM、DR、Z2
CBの先輩が「ホントに行くのおお??やめようよー」と懇願したが皆に却下される。

宿に着いたら所狭しと干します・・・

翌日はラッキーなことに晴れてよかった・・
三保の松原です。富士山も何とか見える

日本平へと

今回も全員無難に。なによりで・・

1983年03月 ソロで早春の信州へ2泊の旅

今考えたら3月20日あたりの山梨〜長野だよ?
凍結とか降雪とか、少しは考えたら?って感じ。若さって怖い。

大好きな風景、雪をいただいた八ヶ岳
いつも写真を撮る場所、ここは国道141号線八ヶ岳の眺望が開ける場所。

少し道をそれて山の方へと写真を撮るために・・

1泊目の宿は清里YH(ユース・ホステル)・・・ぼ、ボロすぎて唖然・・
え?ここに泊まるの?ここは何?築50年のオンボロアパートかよ!って感じ。
(失言すいません)

こんな外観だから?かなあ・・・宿泊客に女の子がいなかったの、野郎だらけ(笑)
そりゃあオサレ(当時)な清里だもん、瀟洒(しょうしゃ)なペンション行くよな普通
当時、早熟でナマイキな高校生カップルに清里のペンションも大人気で、
あまりの乱れぶり?に「未成年・高校生カップルお断り!」とか
掲げてるペンションもあったな。
松田聖子さんの「ボン・ボヤージュ」なんかまさにその世界。
小海線清里のペンションに向かうイメージ。

眼もくらむほどの鉄橋を 渡って汽車は狭い山あいへ  で始まり、
アリバイはうまく作れたの 女同士とママに嘘ついて  とか、
ペンションに着いて名前を書く時はどうするの?  もうこれは天才的な歌詞!

「ボン・ボヤージュ」松本隆さん作詞 ユーミン作曲 より

名盤「Touch Me, Seiko」あとで聞こうっと♪

すんごい話がそれました

野郎ばかりのミーティングの侘しさと言ったら・・・
・・・涙で枕を濡らしながら就寝

翌日、気を取り直して同宿のライダーと国鉄最高地点へと。

冬は凍結していると聞く松原湖

初めて凍結した湖に乗っかったですよー、ちょっと怖かったなあやっぱり。

松原湖から小諸への途中、佐久のドライブインで好物のカツ丼を頼む。
ところが出てきた料理にびっくり!!
丼の白飯に切ったトンカツが乗っているだけ・・・
「あのー、カツ丼頼んだんですけどー??」という俺に店員さんが、
「え?それカツ丼ですよ?」・・関東でいうカツ丼は「煮カツ」と言うそうだ。
軽いカルチャーショックだったね。まだまだ日本は知らないことばかりだな。
そういえば似たような話として
昭和50年ごろ関西で「アイスコーヒーちょうだい」って頼んだら、
「はあああ??」って言われたのを思い出した。

今晩の宿は小諸YH、きれいな建物です。
まだ時間が早いので宿に荷物を預かってもらい、浅間山の林道探索です。
いったい何をトチ狂ったのでしょうか??

滑りまくりで、泥だらけの純情です・・・

ここの宿のホステラー(旅人ね)は色んな人が泊りに来ていて面白かったですよ。
ピアノでLet It Beを弾いてくれた同宿の東大生とか楽しかったな。
ヘルパーも面白い人ばかりだった。
料理もおいしかったし、ペアレント(宿主ね)さんも素敵。
夏の能登ツー帰りにも寄り道した。

ユース恒例朝の集合写真

暖気中・・・

シートが破れてきてガムテープで補修してある・・実に貧乏くさい

小諸から一般道で軽井沢〜碓氷峠旧道を通る。バイパスが有料だったからだ。
碓井峠旧道は走り屋だらけでブチ抜かれまくった・・・原付スポーツにも!
無事帰り着いた。走行450キロくらい

1983年04月 秩父方面へ桜などを、正丸峠〜長瀞日帰りツー

今回は会社仲間のツー
メンバーは5人で。LTDの子はバイクからしばらく離れてたけど、
寮の仲間からXJ400を借りてきたそうだ。
そうだ、書いていて思い出した
いつぞやのツーリングの途中でLTDが転倒破損してしまい
その子が独り電車で帰ったことがあったな。
もう昔のことなので記憶があいまいだ・・・

国道299号正丸峠頂上の茶屋付近。

横浜から16号をひた走り、飯能側からアタックです。
正丸峠のトンネルが開通したのが、1982年(昭和57年)3月だそうだから、
このときはすでに旧道と言うことですね。
わざわざクネクネを選ぶなんて変態ですね。
この正丸峠、チャリ少年だった頃に自転車でアタックした思い出があります。
チャリではしんどかったですよ~
そんな俺の思い出に浸るためにこのルートを設定したと思われます。
会社のツーリング、行先やルート選定やら宿の手配とかすべて私がやってました。
「便利な奴」と思われていたかもね!

八重桜でしょうか、ちょうど満開です。記録によると4月18日ですね。
峠から秩父へ降り、(多分)秩父湖
秩父湖ならば二瀬ダムのようですね(記憶があいまいです)

長瀞に寄って

寄居から国鉄八高線沿いの道を通り、16号で帰った。

誰かコケたような気がする。

1983年05月 富士5合目ツー(今でいうとオフ会ツー)

バイク雑誌の巻末によくあった個人の売買コーナーとか、
クラブ員募集とか、文通希望とか(笑
そのなかで「Z2乗りで集まろう」という呼びかけに乗る。
今でいうオフ会みたいなものかな?

用賀に集合、壮観です・・・
この後集まったメンバーで「Z2会」というクラブを立ち上げ、
数年間活動に参加します

富士山5合目はもやの中、何も見えなかった・・

1983年05月 盛り上がるバイクブーム、レースの世界でも!

空前と言われたバイクブームですが、より身近な存在として
市販車をベースにしたレースも超盛り上がりを見せる
ツクバ、鈴鹿、菅生と追っかけました。
その市販車ベースの人気頂点は400クラスは鈴鹿4H耐久、
リッタークラスはもちろん8耐
下は全日本筑波戦レースのひとコマ。

ヤマハ平選手(GP500)とかモリワキの宮城光選手(F3)とか出てますねー
この年は両選手ともチャンプ取ったかな?

1983年05月 リバーサルフィルムとやらを清里で!

あまりカメラに詳しくないですが(今も)、
銀塩写真の中では写りが綺麗だというリバーサルフィルムを試したくて、
いつもの八ヶ岳の麓、清里へ。

うん、確かに綺麗と思うけど、コストが高いんだよねー
と言うことで、生涯使ったリバーサルフィルムは2本のみ
また後ほど出てきます。

1983年06月 箱根へバイク屋さんツー

この時が一番台数多かったかな?20台くらい。
箱根の途中で集団からはぐれてしまって、
(間違えて)違うグループの中で走ってたというオチ。
ちょっと台数多いと考えものだねえ・・

1983年06月 筑波レース観戦

けっこう国内選手権もハードスケジュールだったのかなあ・・・
前回5月が第4戦目で今月がもう7戦目だもの。

1983年06月 ゼッツーがゼッ不調

購入して半年ですが、とりあえず取り替えたパーツなどを。
もちろん当時の価格
・チェーン調整
・ウインカーリレー( ハイフラ→純正品)¥1,900
・Fブレーキパッド(純正品)¥4,600 摩耗限界
・ハロゲンヘッドライト(マーシャル)¥9,000、シールドビームは暗くて死にそう
・Fタイヤ&チューブ交換(純正DUNLOPゴールドシール)¥10,000 もう山ナシ
・Fフォークオイル漏れ修理(オイルシール)¥2,500左右
・Rスプロケ交換(純正品)¥4,800 摩耗限界
・スパークプラグ交換(純正品)¥400×4
・エアクリ交換(純正品)¥1,600
・キャブ詰まりの掃除
・ポイント点火時期&ギャップ調整
・ポイント交換 ¥1,200×2
・純正チェーン ¥9,700
・Fスプロケ ¥1,980
・スロットルワイヤ開き側切れたのでついでに開閉2本同時交換 ¥3,800

前に乗った2台がそんなに手がかからなかったけど、コイツは違った・・・
最初につまずいたトラブルは、エンジンがバラけて吹けなくなる。
よく言う「一発死んだ」状態ですね。
ほんの小さなゴミがキャブのジェットを詰まらせるようだ。
なぜか3番ばっかり詰まるんだなー。
3番だけエキパイが暖まらないと「またかよ!」って感じで
キャブをバラしてエアで掃除。
タンクの内側の錆対策で燃料フィルター付けたらいいかも、
と聞いたが最後まで実行しなかった。

ポイントについては接点が荒れるのでヤスリで磨いたり、
シクネスゲージでギャップ調整したり、
自作のタイミングライト(ただの豆電球ね)で点火時期の調整とか。
まあFマーク(だっけ?)合わせるだけだけど。
30年以上前だからね、今みたいに情報が落ちてないから何でも手探りだよ。
仲良くなったメカの人が情報源かな。
カワサキのサービスマニュアルなんかホント使えなかったからね。
今みたいに、こと細かく書いてないんだ。
配線図まで入れて71ページしかない・・

RS版は絶版と言われてZ750D用を買った。大まかなところは一緒だと思う。
ページをめくると汚い手で触ったので油とかで結構汚れていますが、宝物です。

1983年07月 秋川渓谷

Z2会のツーリングです。
都心から近いのにココいいですねえ・・・

1983年07月 鈴鹿8時間耐久レース初観戦!もちろん4時間耐久も!

1983年ですので、第6回大会ですね。
前年(豪雨で6時間に短縮された大会ね)に8耐行ったバイク仲間の話を聞いてから、
「今年こそぜひ行くぞ!」と計画を立てた。
仲間がひと足先に現地行っているので、あとから追っかけ一人で、
もちろん下道経由で行く。
鈴鹿ではサーキット敷地内のキャンプ場に泊まる予定
&そのあとロンツー(能登)なので荷物満載

浜名湖付近

公式練習での一コマ、「キヨさん」こと「ミスターカワサキ」清原明彦選手

若いキヨさん!気さくにファンサービスに答えてくれる!
Tシャツにサインしてもらいました。

世界耐久王者、フランス・カワサキ、ゼッケン1&2


オマケです。生涯で一番憧れたバイク・・今も永遠の憧れです。
フランス・カワサキ耐久のレプリカ(公道走行可)
「Godier Genoud パフォーマンスレプリカ1135R 」

「Special Bike」さんより
このバイク、横浜新道の成和モータースさんのショーウインドウに飾ってあって、
通るたび必ず眺めてました。垂涎の的とは正にこのこと。

順位ボードもアナログだねー

400ccクラス市販車改造で争う4時間耐久のゴール

このクラスに参戦で有名になったタレントの清水国明選手
(ゼッケンNo.6に跨っている御本人=決勝20位で完走)

4時間のスタンド観戦は、この年はフリーだった気がする。
8時間は当日券のチケットが取れなかったか。それどころか8耐決勝の写真がない。
写真は公式練習と予選で撮ればいいと考えていたのか?よく覚えてない・・
耐久観戦が終わった翌月曜日の朝、鈴鹿から能登に向けてソロのロンツーに出発。

1983年08月 能登半島ツーリング

↓↓別に記載してあります↓↓

ninjazx.hatenablog.com

1983年09月 富士五湖めぐりツー 何回目だ!

会社のメンバーで、合計3台。LTDの子がGPZ400に乗り換えた。
もう一人はGSX250E
一泊で西湖のバンガローに泊まったけど、終始小雨模様で写真は少ない。

ロンツーから帰った後、ハンドルをコンチハンに替えた。
当時の改造の第一歩ですね、踏み出してしまったようです。
まあ説明の必要もないけど、コンチハン=コンチネンタルハンドル、
ヨーロッパ車みたいに低いハンドル、と言うことでしょうか。
これより低いと一文字ハン、スワローハンまたはイーグルです。
トップブリッジの下につけるとクリップオンと言ってました。セパハンですね。
「トマゼリのクリップオン」と聞くととても懐かしく感じる人もいるでしょう。
ただ当時はハンドル交換には「お上」がうるさくて、
スワローやセパハンは取り締まりの対象でした。

1983年09月 箱根ソロ

懲りないねえ・・・ホント箱根大好き。

1983年10月 紅葉の五色沼へ1泊ツー

今は入れない五十里湖展望台

湖と言っても川状態だね。

その展望台のある大きな駐車場、
ZX12Rを買ってから同じ場所の写真を撮ろうと思ったけど入れなかった。

いつの間にか破れたシートを張り替えたようだ。
流石にみすぼらしかったからなあ・・
上野あたりにシート張替えしてくれる店があった。

途中の五十里ダムで後発の兄貴を待つ、そして合流。
当時はどうやって待ち合わせたのかなあ?
「○○時まで○○で待つけど、それ迄に来なければ先に目的地に行ってる」って、
予め打ち合わせてる感じかな。
ケータイもポケベルもない時代。

ここからは2台で今晩の宿、裏磐梯YHを目指す。
国道121号線経由で、当時はすでに山王トンネルができていた。

途中の渓谷、リバーサルで

兄貴のカメラ(コンタックス)で写真を撮ってもらう。

構図いいよね。流石何をやらせても2年先輩・・・

裏磐梯YHの前で、オランダからやってきた片言ニホンゴのCB750Fライダー、
山形を目指すそうだ。

五色沼

帰路、須賀川から国道18号線に入り、袋田の滝に寄り道
途中ネズミ捕りに遭遇して、その計測係の仕草からし
「あーーーやられた!」と思ったら、
サイン会場は全員揃ってホカ弁のお昼御飯中(笑)で、
誰も出てこなかった。計測の人可哀そう・・・(笑
そんなに暇だったのかしらん・・・
(ネズミこねーから計測係ほっぽっといてシーメしようぜ・・みたいな)
まあ何にしろ良かった。気を付けて行こう。
そういえば能登ツーリングでも同じようなことがあったな。

袋田の滝

1983年11月 箱根ソロ

はいはい箱根ハコネ

1983年11月 ノーマルマフラーから集合管に交換

とある日、別の部署のよく知らないコワモテの人から声をかけられ
「Z2の集合マフラー買わないか?」といきなり言われ、
「ヨシムラ管だと思う、5千円でいいよ」とか言われて
ちょっと押し売り気味に買わされる・・・
生まれて初めてマフラー交換というものを体験する。ノーマルマフラー超重たい・・・
取り付けたら爆音でびっくり
サイレンサー部分には「ふた≒バッフル」程度しか入ってなくて、
消音器が入ってねーよ!と言うわけで出口φを測って
インナーサイレンサーのみ買いに行った。
ヨシムラ純正品がぴったり入りそう。が、集合管がショート加工してあって、
サイレンサーが3分の2くらいしか入らねーよ!
取りあえず収まるように買ってきたばかりの新品をカットする・・・
結構うるさい気がするけど、大分マシになった。
ヨシムラだとしたら形状からして「機械曲げ」だろうけど、
バッタもんも多かったからなあ。
凄い錆びてくるので何回も耐熱ブラックを塗ったな

1983年11月 フロントをWディスク化!

Z2Aはフロントシングル、リアドラムと言う構成。
ちょっとプアだよねー。
と言うことで中古パーツを譲ってもらって右側ディスク、キャリパーを追加
マスターシリンダもダブル用に交換。
ちなみにボトムケースにキャリパー取り付けの穴は付いてます。なのでほぼボルトオン
この後も流用パーツをいろいろ使うけど、カワサキは流用しやすくて良かったですね。
効きは・・・うん、良くなったけど、重量も結構アップ!ディスク板の重さときたら!

1983年12月 リムとスポーク交換とタイヤ交換とバックステップ

(きっとボーナスが入ったからだと思う)
スポークの錆がひどかったので、スポーク新品全取り替えを敢行!東単で8800円!
スポークの取り換え自体は難しくはないけれど、何せ手間がかかりますよー
このとき同時にD.I.Dアルミリムに替える。軽量化!軽量化!
鎌倉街道でタイヤ屋さんだった当時の「ラフ&ロード」さんで
ライダー垂涎の「ピレリファントム」をおごる!
ファントムは当時一番人気のタイヤです。ええ、無理しました。
前後で5万近かったんじゃないかな?超えたかも?
上野のダイトでヨシモトのバックステップ購入24,500円!

・・・ボーナス吹っ飛んだんじゃないの?

これで当時流行していた「走りの3点セット」完成である。
・コンチハン
・バックステップ
・集合

1983年12月 西伊豆へ忘年会ツー

会社のバイク仲間の忘年会ツーです。参加は5台。
会社は変則シフト勤務なので、一斉に休むということができなかった。
なのでプランナーである私の都合に合う人が参加するの(笑

いつもの西湘P

石廊崎灯台

石廊崎ジャングルパーク(2003年閉園したそう)

マーガレットラインの夕陽

雲見の民宿泊
翌日も好天

この年、一年間で走行は15,000キロ。結構乗ったね。
ここに載せてないプチツーやらお出かけとかもたくさんあるし。

1984年01月 寮のメンバーで初日の出

前年に続き、また真鶴岬で年越しパーティー

1984年02月 東伊豆小室山へ

厳冬期なので海沿いを走ったのかな。

1984年03月 鈴鹿開幕2&4観戦

俺よりも兄貴の方がレース観戦にはまっていて、誘われて行ってきた。
8耐以外では鈴鹿のレースを見るのは初めて。
流石にキャンプは無理なので、松坂のYHに連泊した。

そうそう、この年から耐久の排気量が1000ccから750ccに変更になってる。
それに合わせてTT-F1(4st750cc以下)と言うクラスができたのかな。
市販車改造と言うレギュですね。

カワサキTT-F1のエース、故・喜多祥介選手

ヨシムラ&モリワキ

見た目ノーマル風GPZとVF

3月で寒くてねえ・・・電車で来ればよかったと思ったよ。
レース観戦後は兄貴と別れてひとりを選択
鈴鹿から鳥羽を回って〜伊勢湾フェリー御前崎経由で帰った。

鳥羽付近・・真珠の養殖かな?

御前崎でもう夕暮れになってしまい、どこかで泊まる金もなく。
凍結の恐怖に怯えながら夜の箱根を越えて帰った。

3月はこのあと南房総へ、写真ないなあ・・・
箱根にも出かけてる・・好きだねえ・・

1984年04月 久能山いちご狩り日帰りツー

イチゴシーズンと言うことで、日本平へと会社の仲間と。
転勤してきた人がバイク乗りで、さっそく誘ってみる。
当時最新のVF乗りです。

このVF750F、バイク雑誌の最高速テストで220km/h叩き出して度胆抜かれたな。
リッター並みですよ、それって。
もちろん当時ナナハン最速です。

そうそう、旧GSX250Eの子が初代250ガンマに乗り換えたですよ。
参加バイクはVF750F、ガンマ250、GP400、CM250、Z2の5台。
イチゴ狩りの後、お土産をリアシートに積んで帰ったら
ジャムになっていたというオチ。

1984年04月 横浜に引っ越し

川崎から横浜の寮に引っ越した。これで職住接近!会社まで原チャで5分!
引っ越しがあって忙しかったけど、ツクバ観戦と箱根ツーも。
引っ越しはガンマ君に軽ワンボックスを出してもらって
運転手&荷物運びを手伝ってもらった。
お礼は回転寿司を好きなだけ。自分は初の回転ずし体験だった
この当時は御飯程度のお礼でお互い協力します。

1984年04月 横浜赤レンガ倉庫で撮影

赤レンガ倉庫は会社のそばだったので、
なんとなく写真撮るのが気恥ずかしかったりして。
でも今では貴重な写真となった。21世紀には赤レンガパークとして整備された。
倉庫としての役目を終えた後、ロケによく使われたりで
人も集まり出して落書きがひどかった。

こうやってバイクを置いてみるとかなり大きな倉庫だとわかりますね。
ただもうこの頃は老朽化が進行しています。
すでに現役としての役目は終えていたかもね。

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どうでもいいけどウエブ上のHNが「いく」です
ハンネの由来は故・高井幾次郎さんをリスペクトしてます

奥にクイーンの塔(横浜税関)が見えます。

赤レンガの少し奥、貨物線の引き込み線

おそらく横浜港客船ターミナル駅のホームの名残りかも?

↓↓↓にその記載があります。(2011年撮影)

赤レンガ方向からホームを。突き当りは海上保安庁です。(2011年撮影)

ホームから赤レンガ方向を(2011年撮影)

ランドマーク方向、バイクは駐輪無料。(2011年撮影)

1984年05月 最初で最後?筑波サーキット走行会

寮のバイク先輩に誘われて、ツクバの走行会初参加。
何でも枠が余ったらしいので急きょ。

すげー!6気筒のCBXでサーキット走るのかよ!

Z750FXの(寮の)先輩。カッコいいです。モリワキ管をショート加工してます。
当時のZ乗りのあこがれは「モリワキモナカ管」たしか8万円くらいと記憶。
普通の集合の倍くらいの価格に手が出せません

ヘアピンで撮ってもらいました。下手っぴーなのはご愛嬌。
フルへルとツナギは兄貴から借りました。
ジェットへルとセパレートツナギは不可なので。(そりゃそうだ)
仲間ではGPZくんが1コーナーでコケました!

1984年06月 白樺湖諏訪湖1泊ツー

会社のバイク仲間で。この日は会社ツー最大数かな?8台参加です。
新参加CBX400F、XL250(DRの代車)、CM250、GSX250E、
VF750F、GPZ400、ガンマ250、Z2です。

山中湖。なんかねー、雨男が最近いるんだよねえ・・・

カッパを着たり脱いだり・・

蓼科湖で。

白樺湖畔の貸し別荘でお泊り
翌日もどんよりとした天気で残念。
諏訪湖を望む立石公園と、いつかおごってもらったレストラン

台数が多い割にはノントラブルで目でたし。

1984年06月 椿ラインで撮影会

GPZ400とガンマ君の3台で椿へ。
今度この3台で6月末に北海道ツーに出かけることになった。
出発前にお互いの絆を深めるために??3台で出かけた。

いわゆる「見物コーナー」で

白いジェットヘルに赤いバンダナ・・そういう時代です。
このあと世紀の一大イベント、北海道ロンツーです。

1984年06月 初めての北海道ツー

ロンツーは↓↓↓にまとめてあります。

ninjazx.hatenablog.com

1984年07月 オールペン!大胆ライムグリーンに!

もうカワサキに入れあげてますから色は決まってます!
レースシーンのイメージカラー、ライムグリーンです。
中古タンク&サイドカバー&テールカウル一式を手に入れてきました。
中古タンクも色を何色も塗り重ねてあって歴史を感じさせてくれた。
剥離剤なんて知らなかったので、剥がすのがとっても大変だったよー。
この当時の中古パーツの入手先は・・・もちろんヤフオクなんてありませんし、
中古パーツショップもありません。
雑誌の個人パーツ売買コーナーも情報が古く、電話すると「もうない」ばっかり。
なのでズバリ、解体屋さんです。R246の千刈商会さんにはお世話になりました。
この時代の東京〜神奈川近辺の数多の人が、
この解体屋さんにお世話になったと思います。

夏の一大イベント、鈴鹿8耐に間に合わせるように作業する(笑
ライムグリーンは(昔の)三菱ミラージュ・グリーン色の缶スプレー

ノーマルマフラー芦ノ湖

1984年07月 鈴鹿8耐観戦 2回目!行きにアクシデントが!

真夏の祭典がまたやってきました。2年連続2回目の観戦です。
行きがけの箱根で、荷物満載なのに調子に乗り過ぎて痛恨の転倒を喫し、
大きなダメージもあってこのまま鈴鹿まで行くのは無理と判断して、
泣きながら横浜の寮まで帰る。
せっかく買ったマーシャルのヘッドライト割ってもうた・・
削れたダイナモカバーからはオイルが漏れだし
(通りがかりの人に応急処置してもらった)、
ウインカーの左前後がもげた・・(手合図で帰った)
膝から出血してタオルで巻いて帰ってきたんだけど、
あまりの姿にすれ違う人がみんな見る!
バイクボロボロで服ボロボロで血だらけですから・・・

寮の近くにパーツストックが膨大で、頼りになるバイク屋さんがあったのです。
当時横浜の浜松町にあったカワサキメインの「栄和自動車」さん。
部品担当の部長さんに泣きついてパーツを探してもらったら、全部その場で揃った。
「部品が揃ったんなら直して再出発できるじゃん」と若い俺。
傷の手当てもそこそこにバイクの修理にかかり、夕方までには直せた。
先に現地入りしている仲間には「昼過ぎに着く」と言ってあったから、
心配してるだろうなあ。連絡する術がないもんな・・当時は。
でも考えた末サーキットに連絡して伝言を頼み、呼び出し放送してもらった。
あとで聞いたら伝わったそうだ。良かった。

ちょっと話は逸れるけど、昔の新幹線車内とか駅構内とかデパートなど
人の集まる施設では、「お客様に伝言が入っています」とかよく放送で聞いたな。
「お連れ様が遅れます」とか「お連れ様がおはぐれになってます」とか
「自宅に電話してください」とかね。

少し休んで出発、夜通し走って鈴鹿に着いたのは翌日の早朝、
仲間のテントを探してぶっ倒れたように眠る。
心配かけてごめんなさい・・・
膝の怪我が痛みだし、救護所で手当てをしてもらう・・・・

決勝は直前まで降っていた雨が止んで難しいコンディション
CITYターボカブリオレのパレード、カラフルですな。
ここ何年も見てないなー、CITYターボ&ブルドッグ

満員です。決勝は混んでて良い観戦ポジション取れなかった・・・
晴れてドライになった。

↓↓↓は予選の写真です

外観ほとんどノーマルのGPZ750Rニンジャ
「MR.Hiro」とあるので、いにしえのミスターカワサキ
和田さん関連のチームでしょうか。

レースが終わった翌日のキャンプ場

前年はサーキットの中の常設キャンプ場に泊まれたけど、
この年は臨時キャンプ場ですね。
この年は兄貴の会社の仲間と行きました。
普段一緒にツーリングに行ってる会社のバイク仲間はレースに興味ないので。

メンテナンス備忘録

この頃のメンテナンスや交換パーツです。
もちろん当時の価格、消費税はありません(笑
年初からエンジン調子がイマイチで、
点火系かなあと思いつつフロートチャートと睨めっこ。
ポイント交換¥1,200×2=¥2,400
イグニッション交換アッシ¥8,400
プラグ4本交換¥380×4=¥1,520
これでもダメで、ある日突然直る・・・よくあるんです・・気まぐれな子
バッテリー交換¥7,000、Z2のバッテリー交換は超ラクです。
メンテナンス性は良いよねこのバイク。
3回目のタイヤ交換、FRともピレリ・ファントム¥42,000、ライフは8千キロくらい。
当時のZ2の純正チェーンは、シールチェーンじゃなかったので伸びまくりますよ。
Z750D1から純正でもOリング・シールチェーンになったので、
倍くらい高いけどそれに交換¥18,700なり。
完全エンドレスなので交換大変よ。
これでチェーンの張り調整の頻度が画期的に減りました。

鈴鹿に行く途中でコケた損害
ダイナモカバーとウインカFRアッシと諸々で2万くらい。
割れたマーシャルヘッド、とりあえずノーマルを使っていたけど
我慢できずに今度はシビエヘッドライト¥6,300

8月末に清里へ行ってるけど、写真も記録もなかった・・
シーズン終わりで閑散としていて、早々に帰った記憶があるね

1984年09月 富士五湖一泊ツー

会社のバイク仲間と。西湖のバンガロー泊

参加は7台、初参加がVT250とRZ250の人。
夜からガンマが来た。ガンマ君じゃない人。
翌日は2組に分かれて本栖湖〜白糸の滝方面
分かれた理由は少しカラーが違うから(笑

1984年10月 道志〜山中湖ツー

道志みちは僅かに未舗装を残し、もうほとんど舗装されてた。

1984年11月 奥多摩〜柳沢峠〜塩山 日帰りツー

今回の新参加者KR250の先輩、全員で6台。

集合場所から出がけにカブってしまってプラグを買いに行きました・・
2stは予備でプラグを積んでおく方が良いですね。

奥多摩湖

柳沢峠にはもう雪がありました・・寒い!

1984年12月 西伊豆忘年会ツー

いつもの会社メンバーで、いつもの西伊豆・雲見で忘年会。
写真がないです・・・

1985年02月 何をトチ狂ったか九十九里で真冬の野宿

題の通り、寒くて眠くて・・
寮の隣の部屋の相棒(GPZ750乗り)と、
九十九里で野宿して朝陽を見よう!」と突然思いつき、盛り上がる
晩御飯を食べてから出かける・・
深夜、片貝海岸に着いて暗くてよく分からなかったけど、
海岸に海の家みたいなバラックがあって、
その軒下で寝袋にくるまる・・・が、寒くて一睡もできなかった。
朝陽を見てフラフラで横浜まで帰った。

若さって奴は・・・

1985年03月 清里日帰りツー

しかし、清里好きだよねー、何回行ってるんだか。
会社の面々、今回はまた新規参加、Z2を買った先輩です。
俺と同じZ2Aタイガーですね。

津久井湖で休憩

フロントWになってますね・・


八ヶ岳の麓、美しの森は雪だらけ・・

1985年04月 会社での転換期、長期研修生活

会社でのスキルアップのため、約1年間(長いね!)の研修生活に入ります。
このため、ツーリングからは遠ざかってしまいます。

1985年06月 足回り一新!キャストホイール流用

Z2はご存じスポークホイール。チューブなのでパンクは恐怖です。
別にパンク修理くらいなんでもない事ですが、
道具を持ってない時に限ってパンクするんです。
チューブ時代は2回パンク、いずれもガソリンスタンドで場所と工具を借りて直しました。
GSじゃあチューブのバイクは直してくれません。
山の中だったらホント途方に暮れますね。
(現代はバイクでもロードサービスがあるから良いのだけれど)

前出の千刈商会さんで物色していたら、廃車のZ750FXⅡが丸々あるじゃないですか。
ホイールをはじめFフォーク&ブレーキ関係などもサイズ的にボルトオンなので流用決定。
(まだ四輪の免許がなかったので)DR先輩のワンボックスで運んでもらいました。
まあ全てが上手くすんなりできた訳じゃないけどね。
流用したのは・・
FRホイール、FRキャリパー(加工が必要)、Fフォーク一式(加工が必要)Rショック。
まあ車重が全然違うので、フロントはバネをZ750FXのものを使い、数巻カット加工。
Rショックは全然だめで、KONIコニの新品(¥32,000)を入れた。
これでチューブレス!!全天候メタルパッド&穴あきディスク!効きも全然違うよー
Z2ノーマルキャリパー&パッドは、雨の日止まらなくて恐怖だったからね。

1985年07月 短期決戦!鈴鹿8耐観戦

研修中は休みが自由に取れません。
土曜半ドンで終わった後、遠い研修の地から横浜に帰り支度をして鈴鹿へ。
日曜の決勝レースが終わった後すぐ帰り、月曜からまた研修です!
行きも帰りも東名で。おまけに夜間で!

なぜこんな強行軍で見に行ったかと言えばもちろん、「キング・ケニー」見たさです。

当時として異例の資生堂のスポンサード「TECH21レーシングチーム」、
このチームのマシンに元WGPチャンプ、
キングケニーと全日本GP500チャンプ平選手のペアリングです。
超話題になりましたねえ・・・これはとてつもなくコーフンしました。
スタートが出遅れた後のトップに立つまでの走りは伝説です。
結果としては悲運のリタイアでしたが・・・

レースの余韻に浸ることなく帰路に着いた。

1985年08月 伊豆へキャンプツー

会社の同僚たち(バイク乗りではない)が、
伊豆でキャンプをするというのでバイクで押しかけ。
行きも帰りも雨に降られた・・・

この年はこれで最後。あとはプチツー2〜3回程度。

1986年04月 地獄のSUGO(宮城県)日帰り下道強行軍750km!

やっと1年の研修が終わった。
しかし、それに伴い転勤になってしまう・・・
ちょっと今までの仲間と疎遠に・・・
兄貴に誘われてはるか遠い宮城県菅生サーキットまで日帰り・・・
と言いつつ、途中で日付が変わってしまったけど。
途中でみぞれ降ってくるし、疲労と極寒で身体を痛めた(神経系統)。
その後20年くらい後遺症に苦しむ・・・
会社の波乗りやってる先輩に「寒いのにバイク乗ってると必ず体に変調をきたすぞ」と
さんざん言われてたのを思い出す。
なってからじゃあ遅かったね・・先輩は冬でも海に入ってばかりで身体を壊したらしい。

1986年07月 鈴鹿8耐観戦4連続4回目

仕事に追われなかなかまとまった休みが取れない・・けど行く!
夜に横浜の寮を出発

早朝に鈴鹿到着、夜通しの道中は鈴鹿に向かうバイクだらけ!

バイク駐輪場!すごい数ですね!

決勝は去年より明らかに観客が多いと思います。

1986年08月 ソロで五色沼キャンツー

真夏で昼間は暑いので、夜にひたすら4号線で北上、トラックだらけ・・・
道端で休憩、仮眠をとったり

猪苗代湖に立ち寄り・・・
なんかイマイチキャンプ場がピンと来なくて五色沼へ。

五色沼

五色沼のキャンプ場、夏休みなのでファミリーばかり。

帰りに寄った五十里湖

今回は水がありました。

1986年09月 ライムグリーンと八ヶ岳ソロ

以前に比べるとぐっとツーリングが減ってきた。
でもどうしても八ヶ岳が見たくなってソロで出かける。

1986年10月 寮の仲間と清里

寮の隣室GPZ750の子と清里へ。連続清里だね・・

1986年11月 奥多摩〜柳沢峠

以前の職場の人が誘ってくれた。

休憩場所にギャルライダー(※当時の表現です)がいたから大騒ぎ!
で、いつの間にかみんな限定解除してナナハンクラスに乗ってる・・・

ここでZ2との蜜月写真が終わってます・・
Z2には1990年2月まで乗っています。

1987年04月 年貢の納め時(死語?

この年に結婚することにしました。
今まで自由に生きてきたけど、これからは家庭を最優先に。
結婚すると急に(バイクでの)遊びの誘いが少なくなるんですねえ・・・
周りでも結婚するときにバイクを降りる人が多かったですが、
どうしても捨てられない・・・

1990年02月 Z2と涙のお別れ

結婚後は少ない小遣いを遣り繰りして
マフラーをKERKERに。¥49,800(光輪モータース!)
ついにはエンジンに手を付けてヨシムラ69φ860キットを入れる。
シリンダーを外し、それと供にピストンを直接横浜の「三留兄弟製作所」さんに
持ち込んでボーリングしてもらった。当時からすごく評判良かったですねえ・・・
ちなみにこのときの施工代シリンダあたり¥3,500です。
ですので¥3,500×4=¥14,000ですね。ヨシムラピストンの値段、控えてないや。
ヨシムラとモリワキで悩んだけど、ピストンリングが一本多いヨシムラにした。
ピストンリングコンプレッサーなんて用意してなかったから、手で組んだけど苦労したなー
パワーが上がったことによる熱対策で、JMCオイルクーラー¥48,000追加。
マッドマックスごっこクラッチが滑ったので交換。一式で¥12,860
カラーリングもライム→ガンメタに塗り変えた。もちろん自家塗装

そうやって可愛がっていたのですが、維持に大きな問題が。
・高騰を続けるバイクの自賠責保険
・試練の毎年車検(1年車検)

少しでも費用を浮かせるために、当時はまだ一般的でなかったユーザー車検
Z2乗り出し当初から受けてます。
ただフルノーマル状態での車検が基本でしたので、半日かけて整備、
また半日かけて元に戻す・・の繰り返し。
車検がいつも1月の寒いときだったので、外での作業も堪えた。


そしてついに・・ギブ。


現在は古くても毎年車検じゃないし、
ある程度パーツの交換にも融通が利くしで悔やまれます。
6年と少し、一緒に駆け抜けた距離は6万キロでした。

今もどこかで走っているだろうか・・・あのZ2・・・

しかしバイクをあきらめたわけではありません。
GPZ900R編へと続く


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